仮釈放中に再び殺す男——西山省三と福山市独居老婦人殺害事件1992年

凶悪事件

はじめに——「更生」とは何か

無期懲役の仮釈放中に、再び強盗殺人を犯す。

これは稀なケースではあるが、現実に起きた。広島県福山市が地元のある死刑囚は、かつて知人女性を刺殺して無期懲役を受けながら、14年9か月の服役後に釈放され、わずか3年足らずで再び殺人を実行した。その男の名は西山省三——1992年(平成4年)に起きた「福山市独居老婦人殺害事件」の主犯格である。

本稿では、この事件の経緯と、それが日本の司法・仮釈放制度に投げかけた問いを振り返る。


第一の事件——1973年、山口県宇部市

西山省三は1953年(昭和28年)1月13日、山口県宇部市に生まれた。炭鉱夫の父を持ち、兄弟の中で唯一の男子として甘やかされて育ったとされる。中学卒業後は大工見習いや運輸会社のフォークリフト運転手として働いたが、1972年ごろからオートレースやボートレースにのめり込み、借金を重ねていった。

1973年10月25日、借金返済に行き詰まった西山は、家族ぐるみで付き合いのあった知人女性宅を訪問。包丁を突きつけて現金約5万3千円を奪い、口封じのために女性を何度も刺した。被害者は一時生存し、病院で「犯人は西山だ」と証言したが、その後死亡した。西山は逃走したが同年12月に自首し、1974年4月に山口地裁で無期懲役判決を受けた。


「更生の証」と仮釈放——1989年

西山は服役中の態度が真面目だったと評価されており、姉の夫が身元引受人となったことから、1989年(平成元年)7月20日に仮釈放が認められ、岡山刑務所を出所した。14年9か月の服役であった。

出所後、西山は福山市で姉夫婦を頼り、義兄の会社で配管工として働き始めた。1990年4月には婚姻し、同年11月には長女も誕生した。表面上は「再出発」を果たしたように見えた。

しかし現実は違った。出所直後から消費者金融からの借入を始め、パチンコへの依存が再燃。妻子を養う立場にありながら給料・アルバイト代をほぼすべてパチンコに費やし、数百万円規模の借金を再び抱えた。1991年11月には義兄の会社も解雇されている。


第二の事件——1992年3月29日

失業し、借金が膨らみ、行き詰まった西山は、岡山刑務所時代の知人だった黒山明(当時40歳)と接触した。2人は福山市内の団地で茶の訪問販売を試みたが、まったく売れなかった。

1992年3月28日、2人は駐車場で「他に金を作る方法はないか」と相談した。黒山が「盗みでもするか」と提案すると、西山は仮釈放中の身であることを念頭に、「半端なことじゃだめだ」「でかいことを一発やろうか」と強盗を主導的に提案した。そして「三原市に住む独居の老婦人なら金を持っているかもしれない。殺して死体を隠せば身寄りもないからバレない」と、具体的な標的まで名指しした。

翌1992年3月29日、2人は三原市在住の高齢女性・内藤さん(当時87歳)を「いい温泉がある」と騙して車に乗せた。死体を捨てる場所を探して福山市方面や香川県まで移動し、最終的に福山市山野町の山野峡付近、国有林の林道に至った。

黒山が「植木を抜いていく」と内藤さんに話しかけて注意を引きつける間に、西山が背後から石(縦約15cm×横約10cm)で後頭部を強打。倒れたところをビニール紐で2人がかりで数分間絞め続け、絞殺した。その後、遺体は崖下へ投げ捨てられた。

犯行後、西山は被害者名義の預金通帳を不正に利用して現金を引き出し続けた。


発覚と逮捕——約1年後

事件発覚のきっかけは通帳の不正使用だった。1993年4月、三原署が有印私文書偽造・詐欺の容疑で西山を逮捕。当初は「通帳はもらった」と否認したが、追及を受けて「黒山と共謀した強盗殺人だ」と自供した。

同年5月3日、警察が西山の案内で山野峡一帯を捜索したところ、供述通りの場所から白骨遺体が発見された。広島大学法医学教室の鑑定で身元は内藤さんとほぼ断定され、西山は5月6日に強盗殺人・死体遺棄容疑で再逮捕された。なお本事件の発覚により、西山の第一事件の仮釈放は取り消され、1993年6月以降は無期懲役刑の再執行を受けることとなった。

共犯の黒山も後に逮捕・起訴され、一審・二審・最高裁いずれも無期懲役が確定した。


裁判の異例な展開——検察の上告と死刑確定まで

本事件の刑事裁判は、日本の司法史に異例の記録を残した。

1994年9月30日、一審の広島地裁は西山に無期懲役を言い渡した。裁判長は「犯行は計画的かつ悪質だが、被告人は反省しており更生の可能性がある」と量刑理由を述べた。1997年2月4日の広島高裁もこの判断を支持し、控訴を棄却した。

しかし検察はこれを不服として上告。検察の主張は「仮釈放中に再び強盗殺人を犯した者に無期懲役は軽すぎる。更生不能であり死刑を適用すべきだ」というものだった。

1999年12月9日、最高裁は高裁判決を破棄差戻しとした。死刑求刑に対して無期懲役判決を不服とした検察が上告し、最高裁がそれを認めて破棄差戻したのは、永山則夫連続射殺事件以来戦後2件目という前例のない展開だった。

2004年4月23日、差戻し後の広島高裁はついて西山に死刑を言い渡した。西山側が上告したが、2007年4月10日、最高裁は上告を棄却。西山省三の死刑が確定した。

確定当時54歳。2020年9月時点で、広島拘置所に収監されている。


「神の愛」——死刑囚が描いた絵

西山は確定死刑囚となった後も、「死刑廃止のための大道寺幸子基金表現展」に複数回作品を応募している。2005年には詩「死刑囚の先輩」「狂犬の願い」が佳作に選出され、短歌・俳句でも努力賞を複数回受賞した。

死刑確定の年である2007年に描いた油絵のタイトルは「神の愛」。極限芸術展にも出展されたこの作品が、被害者への贖罪を示すものなのか、それとも自身の救済を願うものなのか——本人しか知らない。


この事件が問うもの

西山省三事件が日本社会に突きつけた問いは、30年以上を経た現在も色褪せない。

仮釈放の判断基準について。 西山は服役中の態度が「真面目」と評価され、義兄という身元引受人も確保されていた。しかしその直後からパチンコ依存と借金が再燃し、釈放から約3年で再び殺人を犯した。「刑務所内での態度」が出所後の行動を予測できるか否か、この問いに答えは出ていない。

再犯防止の空白について。 出所後の西山に対して、社会的なフォローアップはどれほど機能していたのか。借金が膨らみ、職を失い、再び崖っぷちに立たされるまでの間、誰かが介入できる機会はなかったか。

死刑適用基準の揺らぎについて。 同一事件で一審・二審が無期懲役、最高裁が破棄差戻し、差戻し審で死刑というプロセスは、日本の死刑基準がいかに不安定か——あるいは「永山基準」の解釈がいかに難しいか——を浮き彫りにした。

被害者・内藤さんは87歳だった。一人暮らしの高齢者を「発覚しにくい標的」として選んだ計画的な犯行は、加害者の論理の冷徹さを示す。しかし同時に、加害者をその論理へと追い込んだ社会的文脈を問うことなしには、再発防止は語れない。


関連年表

年月出来事
1953年1月西山省三、山口県宇部市で生まれる
1973年10月第一事件(宇部市・知人女性強盗殺人)
1974年4月山口地裁で無期懲役確定
1989年7月仮釈放・岡山刑務所出所
1990年4月婚姻、長女誕生
1991年11月義兄の会社を解雇
1992年3月29日第二事件(福山市山野峡・内藤さん強盗殺人)
1993年4月詐欺容疑で逮捕、強盗殺人を自供
1993年5月白骨遺体発見、再逮捕
1994年9月広島地裁:無期懲役
1997年2月広島高裁:控訴棄却(無期懲役支持)
1999年12月最高裁:破棄差戻し(戦後2件目)
2004年4月差戻し広島高裁:死刑判決
2007年4月最高裁:死刑確定

本記事は公開情報・裁判記録・報道資料をもとに構成しています。被害者のプライバシーに配慮し、実名表記は公判記録上公開されている主犯被告人名のみとしています。

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