石井舞ちゃん(当時7歳)の写真。自宅で眠っていたはずの少女が翌朝忽然と姿を消した――その悲劇は日本中に大きな衝撃を与えました。福島県田村郡船引町で1991年7月25日未明、石井舞ちゃんが自宅から姿を消す事件が発生します。最も安全なはずの自宅で起きたこの不可解な失踪は、「神隠し」とも囁かれ、今なお多くの謎と悲しみを残した未解決事件です。
事件の時系列:消えた夜と大捜索の朝
石井舞ちゃん失踪当日の状況を、時系列で振り返ってみます。夏休みが始まったばかりの1991年7月24日、石井家には舞ちゃんの友達姉妹2人(小学4年生と2年生)が遊びに来ており、その夜は一緒に泊まっていました。石井家は父親が営む建設会社の事務所兼自宅で、当時家には両親と祖父母、弟2人に加え、父親の姪(17歳)と住み込み従業員の玉川和弥さん(22歳)の総勢10名が同居していました。(※姪は当日昼から実家に帰省中で不在でした)
- 7月24日 21時20分ごろ: 舞ちゃんの祖父母はタクシーで近所のカラオケスナックへ外出しました。祖父母は1階玄関から家を出て施錠しましたが、深夜2時頃に帰宅した際には玄関の鍵が開いていることに気づきます。その時、祖母は「玉川さん(従業員)がいない」ことに気づき、父親の賢一さんに伝えました。しかし賢一さんは眠かったのか「玉川には明日聞く」と答え、祖母は再び玄関の戸締まりをして休んでしまいました。
- 21時30分ごろ: 舞ちゃんは友達2人とともに2階の子供部屋で就寝しました。セミダブルベッドに3人、川の字になって眠りにつきます。普段は怖がりな舞ちゃんは両親や弟たちと同じ部屋で寝ていましたが、この夜は大好きなお友達と一緒に寝たいとお願いした特別な夜でした。
- 22時30分ごろ: 母親のヨシ子さんが2階子供部屋を様子見に訪れ、眠る3人にタオルケットをかけ直しました。これが舞ちゃんが無事に確認された最後の瞬間となります。母親はその後2階の玄関ドアを施錠し、1階で入浴しました。
- 深夜0時前後: 母親が入浴中、家の近所で不審な白い車が目撃されています。ボンネットを開けエンジンをかけたまま停車していた故障車のような白い乗用車で、運転者の姿は見えなかったとの証言があります。その車は翌朝には消えており、近隣住民にも該当する所有者がいなかったため、事件と関係がある可能性が指摘されました。
- 7月25日 5時20分ごろ: 夜明け前、舞ちゃんと同室で寝ていた友人の女の子が目を覚まし、「舞ちゃんがいない!」と気づきます。既に起きていた父親に知らせ、家族総出で家の中や周囲を探しましたが舞ちゃんは見当たりません。7歳の少女が夜明けに一人で出歩くはずもなく、家族は「まさか誘拐か、神隠しか」と震える思いで捜索しました。
- 6時00分ごろ: 家族は警察に通報。福島県警は直ちに捜索本部を設置し、大規模捜索が開始されました。捜索には学校関係者や地域PTAも協力し、発生から1ヶ月間で延べ3900人もの捜査員が投入されていますa。自宅から半径6kmの範囲にわたり、山林や池沼、河川、マンホール、工事現場、防火用水槽など6370箇所に及ぶ捜索が行われましたが、それでも手掛かり一つ見つかりませんでした。

結局、舞ちゃんは現在まで一度も発見されておらず、時が止まったまま行方不明の状態が続いています。警察の現場検証では、家の中から部外者の足跡や指紋は検出されず、家族や同居人以外の痕跡が全くありませんでした。このため「内部の人間による犯行」の可能性が強まり、家にいた家族や玉川さん全員が疑いの目で見られる事態となったのです。しかし有力な物証はなく、白い車の謎も解明されないまま、捜査はやがて難航していきました。
関係者の背景:浮かび上がる玉川和弥という人物
石井家に同居していた従業員の玉川和弥さん(事件当時22歳)は、舞ちゃん失踪事件で最も疑惑の目を向けられた人物です。玉川さんは石井家の主・賢一さん(舞ちゃんの父)が経営する建設会社で住み込み従業員として働き、石井家で生活していました。彼は賢一さんの姪(当時17歳)と交際中で、紹介を受けて石井家に住み込みで働き始めた経緯があります。元々、姪御さんは両親の離婚をきっかけに非行に走り暴走族グループと関わってしまった時期があり、その中で知り合ったのが玉川さんでした。面倒見の良い賢一さんは荒れていた姪を中学から自宅に引き取り、更生を手助けしていましたが、姪が連れてきた恋人である玉川さんも受け入れ、自身の会社で雇用したのです。こうして17歳の姪と20歳の玉川さんは石井家の1階で同棲生活を始め、家族の一員のように暮らしていました。

しかし、玉川さんと賢一さん(舞ちゃん父)の関係は必ずしも良好ではありませんでした。玉川さんは元不良少年であり、シンナー吸引の癖があったとも噂されています。実際、石井家で暮らし始めてからも何度かシンナー遊びを賢一さんに見咎められ、その度に厳しく叱責されていました。さらに事件前日には、玉川さんと姪が計画していた旅行を急遽キャンセルさせられる出来事がありました。7月25日からの旅行に出発する予定だったところ、前日になって賢一さんが玉川さんに急ぎの仕事を入れ、「旅行に行かず仕事をするように」と言いつけたのです。楽しみにしていた旅行を土壇場で潰された玉川さんは腹を立て、内心では賢一さんへの恨みを募らせていたのではないか――事件後、周囲ではそんな動機の憶測もささやかれました。賢一さん自身も玉川さんを快く思っていなかっただけに、両者の人間関係は事件前からかなりぎくしゃくしていたようです。
こうした背景から、舞ちゃん失踪当時に家にいた人物の中でも血縁関係のない玉川さんへの疑いが特に強まっていきました。実際、警察も玉川さんを重要参考人とみなし、事件発覚翌日の7月25日には事情聴取のため任意同行を求めています。そのまま玉川さんは2週間にわたり警察に拘留され取り調べを受けました。玉川さんが疑われた最大の理由は、事件当夜から翌朝にかけて彼だけが不自然な外出をしていたことでした。玉川さんは7月24日夜10時過ぎに一度家を出た後、着替えのため戻り、再び10時半頃に外出しています。家族の証言によれば、その際1階玄関の鍵はかけずに出て行ったとのことです。
玉川さん本人の説明によれば、当夜は「親友が精神に異常をきたした」という連絡を共通の友人Aから受け、その友人Aと郡山市で会う約束をしたのだと言います。家近くの公衆電話から友人Aに連絡して約束を取り付け、自分の車で出発しようとしたところバッテリーが上がってエンジンがかからなかったため、付近を少し歩いて時間を潰した後、タクシーを呼んで郡山へ向かったというのです。船引駅からタクシーに乗り、約35分かけて郡山駅に到着したのが午後11時過ぎでした。ところが約束していた友人Aは現れず、結局玉川さんは郡山駅前のデパート脇にあるベンチで夜を明かす羽目になりました。翌25日早朝5時48分発の始発列車に乗り、6時30分頃に船引の自宅へ戻ってみると、家は舞ちゃん失踪で大騒ぎになっていた──というのが玉川さんの供述内容でした。
玉川さんのこの行動は、客観的に見ると確かに不自然です。「友人に会うため」とはいえ平日の深夜に一人郡山まで出向き、会えなかったからと野宿して朝帰りしている点に、家族や周囲は強い疑念を抱きました。ましてや事件当夜、家では大切な幼い娘が行方不明になるという前代未聞の事態が起きていたわけですから、タイミングの悪さも相まって玉川さんへの疑惑は深まるばかりでした。さらに不可解なのは、玉川さんを郡山に呼び出したという友人Aの証言です。実は友人A本人は警察の聴取に対し「玉川とはそのような約束をしていない」と述べたとも伝えられており、玉川さんの主張との食い違いが指摘されています。どちらか、あるいは双方が嘘をついている可能性があるこの矛盾は、ネット上でも議論を呼びました。
警察は玉川さんの不審な動きを重視し、先述のように2週間にわたり拘束して取り調べました。しかし、玉川さんを犯人と断定できる決定的な証拠は何一つ発見できませんでした。玉川さんが乗ったというタクシーの運転手が名乗り出て「確かに郡山まで乗せた」と証言し、さらに郡山駅前で夜を明かす玉川さんと言葉を交わした客引き(飲食店の呼び込み)も現れており、玉川さんの不在時のアリバイは一応裏付けられてしまったのです。他の家族も含め内部犯行の線で徹底捜査が行われましたが、誰に対しても有力な物証は出ませんでした。結局、玉川さんは嫌疑不十分のまま釈放され、舞ちゃん失踪事件は容疑者不在のまま迷宮入りしていくことになります。
玉川和弥の現在の状況:疑惑と沈黙の行方
事件からしばらくして、玉川和弥さんは石井賢一さんの建設会社を退職し、石井家を去りました。釈放後、玉川さんは実家へ戻り、その地で身を潜めるように生活しているとされています。捜査当局から公式に犯人と断定されたわけではなく、法的には無実の一般人のまま年月が過ぎました。2006年7月24日、事件発生から15年が経過し本事件は公訴時効を迎えます。(※当時は誘拐・殺人などの重大事件も15年で時効成立でしたが、2010年の法改正で殺人罪の時効は廃止されています。)時効成立に伴い警察の捜査本部も解散となり、もはや玉川さんが刑事責任を問われる可能性はなくなりました。
では玉川さん本人は現在どうしているのでしょうか。報道や公式発表は極めて少なく、彼の所在や近況は謎に包まれたままです。事件後に玉川さん自身がメディアの取材に積極的に応じた形跡もありません。ただ一度、事件を扱ったテレビ番組のインタビューで玉川さんが語ったとされる言葉が人々の記憶に残っています。それは「その時が来たら真実を話します」という謎めいた発言でした。真相を知っているかのようにも受け取れるこの言葉に、家族や視聴者は息を呑みました。しかし結局、「その時」が訪れたはずの時効後になっても、玉川さんが事件について何か真実を明かしたという話は伝わってきていません。彼はいまも沈黙を守り続けているようです。そしてその沈黙は、逆に多くの人々の不信と疑念を呼ぶ結果にもなっています。
一方、舞ちゃんの父・石井賢一さんは事件後、壮絶な執念で独自の捜査を続けました。賢一さんは玉川さんへの疑いを捨てきれず、会社を畳んでまで玉川さんの行動を監視しようとしたのです。私立探偵を雇ったとも、自ら尾行したとも言われますが、それでも決定的な証拠を掴むことはできませんでした。1年ほどが経過すると賢一さんは「もう玉川の顔を見るのも嫌だ」というほど精神的に追い詰められ、監視を断念せざるを得なくなりました。玉川さんが本当に無関係なのか、それとも巧妙に犯罪を隠し通したのか――真相がわからないまま時効を迎えた無力感は、どれほど大きかったことでしょう。賢一さんは「娘を守れなかった自分を責める日々だ」と語ったとも伝えられ、事件は家族の人生を大きく狂わせました。
未解決の現状と風化防止への想い
石井舞ちゃん失踪事件は、残念ながら未解決事件のまま年月を重ねています。現在まで舞ちゃんの生死すら不明で、事件は真相の闇に閉ざされたままです。警察は時効成立後も新たな有力情報があれば捜査を再開すると表明していますが、手掛かりは途絶えています。当時7歳だった舞ちゃんは、今年で40歳前後になっているはずです。しかし家族にとって彼女は今も「7歳のままの愛しい娘」でしょう。真実が解明されない限り、時間は止まったままなのです。
世間ではこの事件を風化させまいとする動きも続いています。石井舞ちゃん失踪事件は「3大幼児行方不明事件」の一つにも数えられ、現在でもインターネット上で事件の考察や議論が活発に行われています。Youtubeやブログ、SNSなどでは事件を検証する記事や動画が後を絶ちません。事件から30年以上が経過した今でも、多くの人々が舞ちゃんの行方と犯人の特定に関心を寄せているのです。こうした注目は、事件を風化させず記憶に留め続ける大きな力になっています。
何より、遺族である石井さんご家族にとって事件を忘れることはできません。両親は今も「舞は必ず帰ってくる」と信じて待ち続けているとも言われます。毎年7月25日が近づくと、地元では舞ちゃんの消息を求めるビラ配りや呼びかけが行われることもありました(※コロナ禍以降は状況により中止)。「どうか娘を返してほしい」「せめて無事でいてほしい」という家族の願いは今なお消えていません。私たちにできるのは、この事件を語り継ぎ、舞ちゃんとご家族の無念を心に刻み続けることです。
最後に、この記事を書きながら改めて感じました。7歳の小さな女の子がある日突然家族の元から消えてしまう――こんな悲劇が現実に起きたことを、私たちは決して忘れてはいけないと思います。誰もが安心して眠れるはずの「家」という場所で起きた前代未聞の誘拐事件。真実が明らかになる日まで、石井舞ちゃんの名前とこの無念の事件を、胸に刻み続けたいと思います。そして願わくば、いつの日か舞ちゃんがご家族の元に戻り、長い悪夢に終止符が打たれることを祈らずにはいられません…。
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