1968年に発生した「三億円事件」は、日本犯罪史上でも屈指のミステリーとして知られています。白昼堂々と約3億円もの現金が強奪され、犯人は現在に至るまで捕まっていません。この未解決事件は当時の社会に大きな衝撃を与え、その後もさまざまな憶測や陰謀論を生み出しました。特に「政治的隠蔽説」と呼ばれる、警察・権力者による関与や捜査妨害を疑う説は根強く語られています。本記事では、三億円事件の基本的な概要と時系列、事件が未解決のままとなった理由に対する陰謀論的視点、政治的隠蔽説の内容と根拠、そして当時の社会的背景やメディアでの描かれ方、情報源の信ぴょう性の見極め方について、親しみやすくも深く掘り下げて解説します。
事件概要と基本時系列
三億円事件とはどんな事件だったのでしょうか? まずは基本的な事実と時系列を整理してみます。
- 1968年12月10日 朝 – 東京都府中市にて、日本信託銀行国分寺支店から東芝府中工場へ社員ボーナスを運搬していた現金輸送車が襲われました。犯人は白バイ警官に変装し、「車にダイナマイトが仕掛けられている」と運転手らに嘘の指示を出します。車の下に発煙筒を置いて爆発に見せかけ、警備員たちが避難した隙に輸送車ごと約3億円を奪走するという大胆不敵な手口でした。犯行時間はわずか3分程度だったとされています。
- 直後の大捜査 – 警視庁史上最大規模とも言われる捜査が展開されました。延べ17万人の警察官が投入され、容疑者リストには11万人もの名前が挙がったといいます。現場付近の学生アパートも含め、徹底的な聞き込み捜査(アパートローラー作戦)が行われました。しかし決定的な手がかりは得られず、犯人像は依然不明のままでした。
- 1968年12月21日 – 警察は犯人とされる男のモンタージュ写真を公開。事件当日の目撃証言をもとに作成された指名手配写真で、白バイ警官のヘルメットを被った若い男の姿が写っていました(※この写真については後述の陰謀論と関わる謎があります)。公開直後は「これで事件解決も時間の問題」と期待されましたが、結局その人物の特定には至りませんでした。
- 容疑者の捜査と迷走 – 事件発生から日が経つにつれ、捜査本部にはさまざまな情報が寄せられました。盗難に使用された偽装白バイの塗装に使われた新聞紙片や、奪われた現金が入っていたジュラルミンケースに付着した土など、いくつかの物的証拠も発見されています。有力な容疑者も何人か浮上しましたが、いずれも決定打を欠き、逮捕・起訴には至りませんでした。
- 1975年12月10日 – 法定公訴時効(当時は窃盗罪の時効は7年)が成立。結局犯人逮捕には至らないまま時効を迎え、三億円事件は未解決事件となりました。盗まれた紙幣のうち番号が判明していた一部(500円札2000枚=100万円分)も、その後一切使用された形跡がなく、巨額の現金は文字通り「消えたまま」となっています。
以上が事件の概要と基本的な流れです。要約すれば、「銀行から運ばれていた3億円もの大金がニセ警官に奪われ、犯人は捕まらず仕舞い」という非常に衝撃的な出来事でした。ここから先は、この事件がなぜ未解決に終わったのかについて、普通に考えられる理由と、陰謀論的な見方の両面から見ていきましょう。
未解決の理由:巧妙な犯行か、闇の力か?
事件が未解決となった直接的な理由としては、犯行手口の巧妙さと証拠の乏しさが挙げられます。犯人は変装とトリックを駆使し、暴力を振るうことなく現金強奪に成功しました。残された物的証拠(盗難車や発煙筒の燃えカスなど)はあったものの、指紋や決定的なDNAのようなものは検出されず、目撃証言も断片的でした。さらに10万人以上に及ぶ捜査対象者の中から真犯人を絞り込むことは極めて困難で、ついに時効を迎えてしまった――これが表向きの説明でしょう。
しかし、この事件には「何か裏があるのではないか?」という疑念が当初からささやかれてきました。警察の大規模捜査でも解決できなかった不自然さ、要領を得ない捜査情報の小出し、あるいは「本当は犯人の目星がついていたのでは」という噂話…。こうした要素が組み合わさり、三億円事件は様々な陰謀論の温床となったのです。
中でも有名なのが政治的な圧力や内部犯行によって真相が隠蔽されたとする説です。次章では、この「政治的隠蔽説」と呼ばれる陰謀論について詳しく見ていきます。
政治的隠蔽説:警察・権力者が真犯人を隠したのか?
三億円事件にまつわる陰謀論の代表格が、この政治的隠蔽説です。一言でいうと、「事件の真犯人は権力側の人間だったため、警察や政治家が捜査情報を揉み消し、意図的に迷宮入りさせたのではないか」という主張です。具体的には以下のようなバリエーションがあります。
- 警察内部犯行・身内犯人説:犯人は警察関係者もしくはその縁者であり、組織ぐるみで庇護されたというもの。
- 捜査妨害説:有力な容疑者がいたにもかかわらず、何らかの圧力で捜査の手が緩められたり、証拠が握りつぶされたというもの。
- 政治家関与説:犯人グループに政治家の子息などが含まれており、権力側が事件をもみ消したのではないかというもの。
中でもよく取り沙汰されるのが「犯人は警察幹部の息子だった」という説です。この説の背景には、実際に捜査線上に浮かんだある青年とその不審な最期のエピソードが存在します

モンタージュ写真の謎と「警察幹部の息子」説: 上図は事件発生後に警視庁が公開したモンタージュ写真です(1968年12月21日発表)。実は当時、この写真に酷似した19歳の少年Sが重要容疑者として浮上していました。彼は「警視庁のある幹部の息子」であり、銀行員4人の証言などから容疑がかかったものの、公にはその素性を明かせない事情があったと言われています。そこで警察は苦肉の策として「よく似た別人の写真」をモンタージュとして発表したというのです。これは後年になってジャーナリストの近藤昭二氏が取材で掴んだ証言ですが、本物のモンタージュではなく実在した他人の写真が使われていたという指摘は衝撃的でした。
では、その少年Sとは何者だったのでしょうか? 彼は事件当時19歳、白バイ隊員だった警察官の父親を持ち、バイクや車の運転に長けた地元の若者でした。盗難に使われたオートバイの改造技術や、「ボーナス輸送車を襲う話」を事前に仲間内でしていたことなど状況証拠も指摘されました。ところが決め手となる物証がなく、さらに彼には親族以外に確かなアリバイがない一方で血液型や筆跡が犯人の残したものと一致しないなどの反証もありました。警察は慎重に内定を進めていましたが、事件発生5日後の12月15日深夜、少年Sは自宅で急死してしまいます。
その死因は青酸カリによる服毒死でした。表向きは自殺とされましたが、状況はきわめて不審です。というのも、青酸カリは父親が知人の工場から入手していたものであり、少年Sが亡くなった際、青酸を包んでいた紙からは父親の指紋しか検出されなかったのです。近所の住民によれば、直前に帰宅した父親と少年Sが大喧嘩する怒号が聞こえていたとも言います。知人たちは「Sは自殺するような人間ではない」と口を揃えており、「両親が事件への関与を知って心中を図ったのではないか」「いや、実際には息子だけを死なせたのではないか」といった疑惑が当時から囁かれました。
事実、現場にはSが妹宛てに書いた2通の遺書と、母親が以前書いていたという遺書が見つかっています。母親は警察の追及に対し「息子に便箋を欲しいと言われて渡したが、自殺に使うとは思わなかった。自分の遺書は昔書いたもので一緒に挟まっていただけ」と苦しい説明をしたと伝えられます。これらの不自然さから、捜査員の間では「刑事が来たことで両親に問い詰められ、自分が犯人だと白状したSを見て、一家の将来を悲観した両親が『一緒に死のう』と迫った。しかし結局、息子だけが自死に追い込まれたのではないか」と推測されました。コップが2つ用意されていながら毒物反応は1つからしか出なかったことも、この推測を裏付けています。
こうして有力容疑者だった少年Sは死亡。皮肉にも12月21日に公開されたモンタージュ写真は、捜査員が「Sに似ているが別人」の写真を使ったため、捜査は混迷を深めました。最終的に警察は、当時捜査の陣頭指揮を執っていた名物刑事・平塚八兵衛氏の判断もあり、「少年Sはシロ(犯人ではない)」と公式に断定しています。それ以上この線を深追いすることはなく、事件は時効を迎えてしまいました。
しかし世間では、この「警官の息子犯人説」が強く印象に残ることになります。劇的な展開ゆえにドラマや小説で度々題材とされ、「本当は犯人は警察幹部の息子だったが、警察組織が隠蔽した」というストーリーが半ば都市伝説のように広まっていきました。実際、現場から見つかった証拠のいくつか(白バイ改造に使われた新聞紙片が少年S宅周辺に配達された新聞と一致、ジュラルミンケースの付着土が少年S宅付近の土と同一成分など)は彼を犯人と示唆するようにも思える状況証拠でしたが、いずれも決定的とは言えず公判に耐えるものではありませんでした。真相は藪の中とはいえ、「権力者の息子ゆえに逮捕されなかった犯人がいたのでは?」という疑いは今なお語り草になっています。
以上が政治的隠蔽説の代表例である「警察内部犯行・身内犯人説」です。この他にも、「証拠品の一部が意図的に破棄されたのでは」「本物の犯人像を隠すためにわざと捜査の焦点をボカしたのでは」といった捜査妨害説的な主張もあります。モンタージュ写真を実在の別人ででっち上げた疑惑などはまさにその一例でしょう。警察が何かを隠しているのでは…という視点から見ると、通常では考えにくい捜査上の不可解な点も「闇の勢力による策略」に見えてくるわけです。
では、こうした陰謀論が生まれる背景には何があったのでしょうか? 次の章では、事件当時の社会情勢や政治状況を振り返りながら、陰謀論が台頭した理由を探ってみます。
社会的背景:1960〜70年代の混乱と陰謀論の萌芽
三億円事件が起きた1968年前後の日本社会は、大きな変動期にありました。高度経済成長の只中で活気づく一方、社会にはさまざまな緊張が走っていました。その代表的なものが学生運動の高まりです。1968年から69年にかけて、日本各地の大学で紛争が頻発し、大学の34%(127校)で授業放棄やストライキ、バリケード封鎖などの闘争が起きました。翌1969年にはその数字が41%(153校)に達したとの統計もあります。ベトナム戦争への反発や、迫り来る日米安保条約改定(1970年)への危機感から、学生たちは大学キャンパスや街頭で激しい抗議行動を展開していたのです。
こうした社会運動の隆盛に対し、当局(政府・警察)は神経を尖らせていました。各地で機動隊とデモ隊が衝突し、東大安田講堂事件(1969年)などでは強制排除も行われるなど、治安当局は学生運動の沈静化に本腰を入れていた時期です。警察内部には公安警察が各セクトにスパイを送り込むなどの情報戦も行われていました。要するに「体制 vs 反体制」の図式が際立っていた時代だったのです。
このような状況下で発生した三億円事件は、ある意味で当局に格好の口実を与えた側面がありました。前述の通り、捜査の過程では事件現場周辺(いわゆる三多摩地区)の学生下宿などが片っ端から捜索され、数多くの若者が容疑者リストに挙げられました。その数は十数万人に及び、学生運動に熱心だった者も多分に含まれていたと推測されます。このことから生まれたのが「三億円事件陰謀説(学生運動弾圧目的説)」です。陰謀論者の中には「三億円事件そのものが、盛り上がりを見せていた学生運動を摘発するための強制捜査の口実として、当局により捏造されたのだ」と主張する者もいました。
確かに、警察が学生街を大規模にローラー作戦できる大義名分として「未曾有の窃盗事件の犯人捜し」はうってつけだったかもしれません。捜査という名目でアパートを隅々まで調べ、学生たちの身元や交友関係を洗い出すこともできたでしょう。実際にそれが当局の狙いだった証拠はありませんが、少なくとも学生運動側からは「国家権力の陰謀ではないか?」と疑われても不思議でない状況だったのです。この説は、公権力に不信感を抱く人々や当時の新左翼系の言論人などによって語られ、一部では今も根強く信じられています。
まとめると、1960〜70年代というのは社会不安と体制不信が蔓延し、陰謀論が生まれやすい土壌があったと言えます。戦後直後には国鉄三大ミステリー事件(1949年)でGHQ陰謀説が流れたり、その後も政財界の汚職事件で黒幕説が囁かれるなど、日本でも折に触れて陰謀論的解釈は現れてきました。三億円事件の場合、その劇的な展開と未解決の結末が相まって、人々の想像力をさらに刺激したのでしょう。当時の若者たちにとっては「権力なんて信用できない」「裏で何をしているか分からない」という感覚が今以上に強かったこともあり、「もしかするとあの事件は国家権力の闇が絡んでいるのでは…?」と考える向きが出てきたのもある意味自然な成り行きだったのかもしれません。
三億円事件とメディア:書籍・映画に描かれた陰謀
未解決のミステリーである三億円事件は、小説や映画、テレビドラマなど数多くのフィクション作品の題材にもなってきました。メディアで事件が取り上げられるたびに、陰謀論的な描写やユニークな真犯人像が提示され、事件のイメージは大衆の中で半ば伝説化していきました。ここではいくつか代表的な例を紹介しましょう。
- 松本清張『小説 三億円事件「米国保険会社内調査報告書」』(1978年) – 社会派推理作家の松本清張は事件から10年後、短編小説の形で三億円事件を扱いました。ユニークなのはタイトルにもある通り「米国の保険会社の内部調査報告書」という体裁をとっている点です。海外の視点から事件を振り返るという趣向で、フィクションながらも緻密な取材に基づき様々な仮説が織り込まれています。清張作品らしく権力側の暗部を示唆するような匂わせもあり、当時話題を呼びました。
- 映画『実録三億円事件 時効成立』(1975年, 東映) – 公訴時効が成立した年に公開された実録犯罪映画です。清水一行の小説『時効成立』を原作に、実名こそ避けていますが事件の全貌をフィルムノワール調に描いています。犯人像についても当時噂されていた警察内部犯行説を匂わせるような演出が盛り込まれており、現実とフィクションの境目がスリリングに表現されました。
- 映画『初恋』(2006年) – 中原みすず著の同名小説を宮﨑あおい主演で映画化。こちらは三億円事件をモチーフに、女子高生が“たまたま”事件に関与してしまうというフィクションです。背景には当時の学生運動や若者文化が色濃く描かれ、事件を青春映画として再解釈した異色作でした。作中では学生グループが資金調達のために計画した…といった設定になっており、まさに**「学生過激派関与説」的な描かれ方**とも言えます。史実とは異なる創作ですが、「もし若者側から見たら?」という視点で三億円事件の持つロマンや影の部分を浮き彫りにしています。
- その他の作品 – この他にも数え切れないほどの作品があります。たとえば西村京太郎『名探偵なんか怖くない』(1971年)では推理小説としてコミカルに、遠藤周作『ただいま浪人』(1972年)では社会風刺的に事件が語られます。大藪春彦『野獣は、死なず』(1995年)では登場人物の一人を三億円事件の犯人という設定にしています。テレビドラマでも1970年代から何度も特番やシリーズで取り上げられ、平成以降も周年の節目毎に検証番組が放送されてきました。直近では事件から50年の2018年前後に複数のドキュメンタリーが組まれ、当時の捜査関係者やジャーナリストが新証言を語る場面もありました。
これらのメディア作品では、多くの場合フィクションとして独自の「犯人像」や「動機」が提示されます。それは警察幹部の息子だったり、過激派学生グループだったり、はたまた全くの別人だったりと様々ですが、裏を返せばそれだけこの事件が「想像の余地」を残しているということでもあります。作品を通じて陰謀論的な見解が大衆に広まった面もあり、「真犯人は誰だったのか?」という問いは今なお人々を惹きつけています。
ちなみに、事件の知名度の高さから「自分が三億円事件の犯人だ」と名乗り出る人物まで時折現れます。時効成立後の毎年12月頃になると、面白半分なのか告白本の売名なのか、自称犯人がメディアに登場した例が何件かあります。もっとも警察は重要な捜査情報の一部を非公開にしており(例:犯人が発煙筒を通常と異なる方法で点火していた事実や、ジュラルミンケースに現金以外のある特殊な物が入っていたことなどは一般に公表されていません)、そうした秘匿情報を語れない人物は真犯人ではありえないと判断できます。「名乗り出た犯人」たちも案の定そうした詳細を全く知らず、信憑性は皆無でした。むしろ都市伝説化した事件ゆえに、話題作りに利用されてしまう面もあるというわけです。
信憑性のある情報源と陰謀論の見分け方
最後に、三億円事件にまつわる情報の信頼性の見極め方について触れておきます。この事件は半世紀以上前の未解決事件ということもあり、事実関係が錯綜しやすく、誰かの仮説や推測があたかも真実であるかのように語られてしまう危険もあります。陰謀論に興味を持つのは決して悪いことではありませんが、確かな情報とそうでない情報を峻別する目を持つことが大切です。
一般に、信ぴょう性の高い情報源としては以下のものが挙げられます。
- 公式記録・報道:警察発表や公的資料、当時の大手新聞などによる報道は一次情報に近く信頼度が高いです。三億円事件についても警察が公開した手配写真や捜査状況の公式発表があります。また当時の新聞記事を辿れば、事件の概要や捜査の進捗が時系列で追えます。ただし、先述のように警察は一部情報を意図的に伏せてもいましたから、公式情報が全てとは限らない点には注意が必要です。
- 綿密な取材に基づく書籍・ジャーナリズム:事件を長年追い続けたジャーナリストや作家によるノンフィクション本、ルポルタージュは貴重な情報源です。例えば近藤昭二氏のように45年以上取材を続け、新証言や新資料を掘り起こした人物もいます。彼の証言(モンタージュ写真のトリックや父親への直撃取材での恫喝発言など)は、裏付けが難しい部分もあるものの、状況証拠や複数の関係者の証言を重ね合わせており無視できません。こうした書籍は出典やインタビュー相手が明記されていることが多く、検証可能性という点で陰謀論的風聞より信頼がおけます。
- 捜査関係者の回想:時効後、警察OBや当時の捜査員が語った回顧録や証言もあります。それらには「実は捜査線上に◯◯という有力容疑者がいた」「あの証拠は本当はこう分析されていた」といった裏話が含まれることもあります。ただし、人の記憶はあいまいで主観も入るため、そのまま鵜呑みにせず他の資料と突き合わせる姿勢が必要です。
一方で、信ぴょう性に疑いのある情報源も少なくありません。三億円事件ほど有名になると、面白おかしく脚色された二次情報や、出どころ不明の噂も数多く流布します。
- 匿名のネット記事・掲示板の噂:現代ではネット上に様々な「真相暴露」が飛び交っていますが、特に匿名掲示板や個人ブログなどは玉石混交です。例えば「関係者の家に大金が隠されているのを見た」といった書き込みがあっても、それを裏付ける証拠が提示されなければ信頼性は低いでしょう。一次情報に当たらずコピペで拡散されたものも多く、注意が必要です。
- 自称・関係者や犯人の証言:先ほど触れたような時効後に名乗り出た“犯人”の他にも、「実は自分は捜査関係者から真犯人を聞いた」などと語る人物がたまに現れます。しかし、そうした証言者に限って肝心な秘密の詳細を語れなかったり、話の辻褄が合わなかったりします。前述の通り警察しか知らない証拠の核心部分(発煙筒の点火方法やケースの中身など)を説明できない時点で信憑性は疑わしいと言えます。結局のところ真犯人しか知り得ない情報を持っているかどうかが重要な線引きになるわけです。
- 娯楽目的のフィクション:小説や映画は事件をモチーフにしていても基本はフィクションです。先に挙げた作品群のように楽しませるために大胆な脚色がされています。例えば「実は共犯に女性がいた」など物語上の設定が、そのまま事実と思い込まれるケースもあります。フィクション作品はあくまで創作として楽しみ、そこから事実を知りたい場合は巻末の参考文献や作者のあとがきなどを確認してみると良いでしょう。
まとめると、三億円事件に限らず陰謀論に接するときは「誰が何の根拠にもとづいてそれを言っているのか」を意識することが大切です。警察発表や信頼できるジャーナリストの証言にはちゃんと根拠がありますし、逆に単なる噂話には典拠がありません。疑わしい情報ほど人は面白がって拡散しがちですが、冷静に事実と照らし合わせてみましょう。三億円事件の場合、幸いにも多くの資料や研究が残されているので、それらを読み解くことで陰謀論の真偽も自ずと見えてくるはずです。
おわりに
戦後最大のミステリーとも称される三億円事件は、令和の現在になっても色褪せることなく語り継がれています。未解決ゆえに人々の想像力を刺激し、多種多様な陰謀論や仮説が生まれました。**「政治的隠蔽説」**をはじめとする陰謀論の中には、当時の社会情勢を映し出すものもあれば、証拠に基づく考察から生まれたもの、単なる憶測に過ぎないものまで玉石混交です。
本記事では事件の概要とともに主要な陰謀論をご紹介しましたが、最終的な真相は今も闇の中です。警察関係者が関与していようといまいと、あるいは本当に偶然捕まらなかっただけだとしても、結果的に「巨額の現金を誰にも傷つけず奪い去り、完全犯罪を成し遂げた犯人」が存在したことになります。そんな劇的なストーリーに、現実とフィクションの境界を越えて人々が惹かれるのも無理はありません。
大切なのは、ロマンや好奇心を抱きつつも、事実ベースの情報にあたる姿勢です。歴史の裏側に思いを馳せる陰謀論的な楽しみ方は否定しませんが、根拠のないデマに振り回されないよう注意しましょう。三億円事件は、一人ひとりがメディアリテラシーを考える上でも良い題材かもしれません。
50年以上前の事件ではありますが、新たな証言や資料が発見される可能性もゼロではありません。今後もし真相に光が当たる日が来たなら、その時こそ本当の意味でこの伝説に幕が下りるのでしょう。それまでは、事実と伝説の狭間で語られる数々の物語に耳を傾けつつ、昭和史の謎に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
参考資料:
- 三億円事件の概要と捜査状況(Wikipedia)tv-tokyo.co.jpja.wikipedia.org
- 近藤昭二氏の証言(テレビ東京『じっくり聞いタロウ』2021年放送記事)
- 少年Sに関する記述(Wikipedia)
- 陰謀論(警察陰謀説・学生運動弾圧説)に関する記述(Wikipedia)
- 当時の社会背景(学生運動の状況に関する記事)
- 事件を扱った主な作品一覧(Wikipedia)
- 警察の非公開情報と自称犯人に関する記述(Wikipedia)
- Wikimedia Commons(警視庁公開のモンタージュ写真)commons.wikimedia.org



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