悪魔の友人たち|滋賀・堺監禁殺人事件(2017年)の衝撃全貌

不可解・不審死事件

事件発生:平成29年夏、滋賀県で明るみに出た惨劇

平成29年(2017年)8月、滋賀県近江八幡市の民家で、31歳の男性・渡邉彰宏さん(当時31)が衰弱した状態で搬送され、まもなく死亡する事件が起きました。渡邉さんの身体には無数の殴打痕があり、発見時は全身ほぼ裸で大人用紙おむつだけを着けた痛ましい姿でした。滋賀県警がこの不審死を捜査したところ、事件は単なる体調不良や事故死ではなく、想像を絶する監禁虐待による殺人事件であることが判明します。

滋賀の民家から遠く離れた大阪府堺市でも犯行の舞台となっていたことから、本件は「滋賀・堺監禁殺人事件」と呼ばれます。警察は同年12月、この事件に関与した疑いで20~30代の男女6人を一斉に逮捕しました。逮捕されたのは被害者の“友人”や知人たちで、その中には格闘技ジム経営者やアルバイト店員、無職の者などが含まれていました。彼らこそが、渡邉さんを陰惨な監禁虐待の末に死に至らしめた加害者グループだったのです。

被害者と加害者:“仲間”内で何が起きていたのか

被害者となった渡邉彰宏さんは大阪・堺市出身で、事件当時無職でした。格闘技好きだった渡邉さんは堺市西区でムエタイジムを営む阪本厚樹容疑者(当時39歳)のジムに通い、そこで加害者グループと知り合ったとされています。一方、逮捕された加害者たちは一見ごく普通の若者・中年たちでした。しかしその内情は、リーダー格の男を中心に“支配-服従”の異様な人間関係が築かれていたのです。

  • 井坪 政(いつぼ しょう / 当時29歳) – 大阪府堺市の飲食店従業員(逮捕時はたこ焼き店店員)。グループ主犯格で、知人男性らへの日常的な暴行・監禁を主導しました。事件当時、自身が経営する飲食店があったとも報じられています。
  • 宮崎 佑佳(みやざき ゆか / 当時24歳) – 無職。井坪の内縁の妻であり、主犯の指示のもと犯行に加担しました。後の裁判では「監禁したことは事実ですが、死んでしまうとは考えませんでした」と述べ、一部容疑を否認しています。
  • 萩原 真一(はぎわら しんいち / 当時39歳) – 無職。滋賀県近江八幡市にある自宅が犯行現場の一つとなり、衰弱した渡邉さんが最期を迎える場となりました。暴行・監禁に関与し、後述の裁判で懲役16年の判決を受けています。
  • 飯星 飛香(いいぼし あすか / 当時29歳) – 無職。大阪府堺市に所在する自身の家で渡邉さんを長期間監禁下に置き、逃げ出せないよう室内に監視カメラを設置して監視していました。渡邉さん以外にも別の男性を監禁した張本人であり、その残忍さが際立ちます。
  • 亀井 徳嗣(かめい のりつぐ / 当時22歳) – 無職。グループ最年少の加害者で、監禁や暴行に加わった一人です。犯行当時は22歳という若さでしたが、主犯の指示のもと残虐行為に手を染めました。

以上の5人が主に殺人・監禁致傷などの罪で起訴された面々です(逮捕時に報じられた阪本厚樹容疑者については、犯行グループと被害者を繋ぐジム経営者でしたが、直接の監禁致死には深く関与しなかったとみられ、裁判では主要な加害者とは別に扱われたようです)。渡邉さんは阪本のジムという「仲間の場」で井坪らと出会いましたが、それが悪夢の始まりでした。井坪被告は日頃から渡邉さんに「バカ」「アホ」などと暴言を浴びせて支配し、渡邉さんはおどおどと「わかりました…」と従うばかりだったといいます。本来なら友人であるはずの相手に隷属させられていく――周囲からは見えにくい異常な主従関係が、このグループ内で形成されていたのです。

監禁・虐待の実態:凄絶な暴行と拷問の日々

井坪被告ら加害者グループは、渡邉さんに対して常軌を逸した拷問まがいの虐待を日常的に加えていました。その手口は鬼畜そのもので、読むだけで息を呑む凄惨さです。渡邉さんは約1年もの長期間にわたり大阪(堺市)や滋賀(近江八幡市)の住宅に監禁され、逃げ出すことも助けを求めることもできませんでした。監禁場所には複数の監視カメラが備え付けられ、加害者たちは渡邉さんの一挙手一投足を別室のモニターや携帯電話で監視していたのです。

閉じ込められた渡邉さんに待っていたのは、想像を絶する虐待の日々でした。井坪被告らは渡邉さんに対し、殴る・蹴るといった暴行は日常茶飯事で、木刀で全身を打ち据えたり、エアガン(遊戯銃)で至近距離から執拗に撃ちつけたりしました。渡邉さんは常に空腹状態にさせられ、衰弱していきます。それでも加害者たちの所業はエスカレートし、なんと排泄物や嘔吐物を無理やり食べさせるという常軌を逸した虐待まで行われていました。被害者は屈辱にまみれながらも抵抗する気力すら奪われ、「死んでしまうかもしれない」という極限状態に追い込まれていったのです。

さらに衝撃的だったのは、彼らが渡邉さんだけでなく**別の男性(当時38歳)**まで同様に監禁虐待していた事実です。飯星被告の自宅では、渡邉さんとは別の知人男性が約1年4か月もの間押し入れの中に閉じ込められていました。この男性も衣服を剥ぎ取られ、一年中紙おむつ一枚の裸同然の姿で過ごさせられていたのです。押し入れは外から接着剤で封じられ、身動きは一切取れません。加害者らは監視カメラで見張りながら、一日わずかインスタントラーメン等を朝夕2回与えるだけで男性を飢えさせました。男性は井坪被告とレゲエ音楽の動画サイトを通じて知り合い、数年前から井坪被告らと同居していた知人でしたが、次第に逃げられない“奴隷”のような状態に置かれたとみられています。長期の監禁によりこの男性の筋肉や関節は萎縮しきってしまい、自力歩行も困難なほど衰弱していました。まさに常軌を逸した地獄絵図――人間による人間の支配が極限までエスカレートした姿が、そこにはあったのです。

発覚の経緯:病院からの一報と捜査の急展開

2017年8月下旬、滋賀県近江八幡市の萩原被告の自宅に移送されていた渡邉さんは、ついに身体が限界を迎えました。栄養失調と暴行による深刻なダメージで衰弱しきった彼は、意識を失い加害者らによって病院へ運ばれます。しかし時すでに遅く、渡邉さんは搬送先の病院で息を引き取りました。診察した医師はその遺体のあまりの酷い傷と衰弱ぶりにただ事ではないと直感し、滋賀県警に通報します。こうして事件はようやく外部に発覚しました。

滋賀県警は殺人事件の可能性も視野に捜査本部を設置。渡邉さんの交友関係や直前の足取りを洗う中で、浮かび上がったのが井坪政をはじめとする“友人グループ”の存在でした。井坪被告ら周辺人物の家宅捜索や関係者事情聴取が進むと、彼らの自宅から監視カメラや押し入れの封印跡といった監禁の物証が次々と発見されます。また捜査の過程で、押し入れに閉じ込められていたもう一人の男性(38歳)が発見・救出されたのです。警察官が踏み込んだ現場で目にしたものは、紙おむつ姿で骨と皮ばかりに痩せこけた男性でした。辛くも命を取り留めたものの、男性は重度の衰弱状態で救出されました。この恐るべき光景に捜査員たちも震撼したことでしょう。

こうした証拠固めを経て、警察は2017年12月までに井坪政容疑者以下5名を渡邉さん監禁致死容疑で逮捕し、さらにジム経営者の阪本厚樹容疑者も事件への関与で逮捕しました。ニュースで報じられた逮捕の報に、世間は「友人による監禁殺人」という信じがたい犯行に戦慄します。「仲間と思っていた人に1年も監禁され虐待死させられるなんて…」と、多くの人々が恐怖と怒りを覚えました。事件の全貌解明に向け、年が明けた平成30年以降、裁判の場で徐々に詳細が明らかになっていきます。

裁判と判決:浮かび上がる真相と法の裁き

逮捕から約1年後、滋賀県大津地方裁判所で加害者たちの公判が順次開かれました。裁判員裁判となった公判では、検察が明らかにした犯行の詳細に傍聴席からは悲鳴が漏れんばかりでした。主犯格・井坪政被告は殺人・監禁致傷などの罪で起訴されましたが、一貫して無罪を主張し、自らの暴力支配や犯行主導を否定しました。「被害者は家族同然の存在で、日常的な暴力や支配はなかった」とまで語り、検察側と真っ向から対立したのです。しかし井坪被告以外の共犯者4人はすでに起訴事実をおおむね認め、裁判の結果それぞれ懲役20年~11年程度の有罪判決を受けています。共犯の全員が「井坪被告が犯行を主導した」と口を揃えて証言しており、主犯の言い分は仲間に完全に否定される形となりました。

一方、井坪被告の内縁の妻である宮崎佑佳被告は、自らの公判で「監禁したことは事実ですが、死ぬとは思わなかった」と証言し、殺意については否認しています。検察側は彼女について「被害者の行動を監視カメラで見張り、逃げられないようにし、暴行を加えた。被害者が衰弱しても助けようとしなかった冷酷さがある」と指摘しました。弁護側は「宮崎被告は井坪被告から暴力で支配され、逆らえなかった。殺す意図はなかった」と情状を訴えています。裁判官はこの主張に一定の理解を示したものの、結果的に宮崎被告には求刑(懲役18年)を上回る懲役20年の判決が下されました※。萩原真一被告には懲役16年、飯星飛香被告には懲役13年、亀井徳嗣被告にもそれぞれ有罪判決が言い渡されています(一部被告は控訴)。いずれの判決文にも、犯罪の残虐性と計画性を厳しく指弾する言葉が並びました。

そして迎えた井坪政被告本人への判決公判。2019年3月、大津地裁・伊藤寛樹裁判長は判決理由で「本件犯行はおぞましく非人道的だ」と厳しく非難し、主犯の井坪被告に求刑通り懲役30年(有期刑の法定上限)の判決を言い渡しました。裁判長は「被告人は他の男女と共謀し、堺市内の民家で渡邉さんら男性2人を約1年間も監禁した。衰弱した被害者を滋賀県近江八幡市の民家に連行し、治療も受けさせずに死亡させたもので、その犯行は極めて計画的かつ悪質である」と断罪しています。井坪被告の主張した“無罪”など到底認められるものではなく、裁判員を含め誰もがその鬼畜の所業に怒りを新たにする結果となりました。判決確定後、井坪受刑者は長い刑期の中で自らの罪と向き合うことになります。

※判決に関する報道より。一連の裁判で確認できた範囲で加害者それぞれに懲役11年~30年の判決。

社会への衝撃と反響:浮かび上がった闇

この事件の詳細が報じられると、世間には大きな衝撃と恐怖が広がりました。被害者と加害者が「友人関係」にあったという事実は、多くの人々に戦慄をもって受け止められました。「身近にいる友人が、裏では自分を監禁して殺そうとしているかもしれない」という悪夢のような不安さえ掻き立てられたのです。「人間とは思えない所業だ」「こんな加害者には極刑でも足りない」という怒りの声もネット上で相次ぎました。実際、裁判を傍聴した遺族や市民からは「全員死刑でもおかしくない」という意見も聞かれ、犯行グループへの憤りは計り知れないものがありました。

日本では過去にも凄惨な監禁・虐待殺人事件がいくつかあり、本件はそれらに匹敵する残虐性だと語る論評もあります。たとえば1990年代の北九州監禁殺人事件や、2012年に発覚した尼崎連続監禁虐待事件(尼崎事件)では、加害者が身内や知人を長期間監禁し暴力支配の末に死に至らしめています。本事件もそれらと同様、加害者による被害者の“心理的支配”が一因とみられています。実際、井坪被告は被害者のみならず共犯者さえも暴力で従わせていた節があり、宮崎被告が「逆らえなかった」と証言したようにカルト的な主従関係があったと指摘する声もあります。人間が人間を洗脳し、抵抗できないほど支配下に置いてしまう――その恐ろしさを、改めて世間に知らしめた事件でもありました。

浮かび上がる課題:二度と悲劇を繰り返さないために

滋賀・堺監禁殺人事件は、一見平凡な若者グループの内側で密かに進行した凶悪犯罪でした。被害者の渡邉さんは社会的に孤立していたわけではなく、複数の“仲間”に囲まれていました。それでもなお救いの手は差し伸べられず、1年近くもの地獄の日々を強いられた末に命を奪われています。この事実は、周囲からは見えにくい人間関係の闇を我々に突きつけました。仲間内のいじめ・虐待がエスカレートして重大犯罪に至るケースは、決してゼロではありません。被害者自身が外部に助けを求められない心理状態(いわゆる「学習性無力感」やストックホルム症候群に似た状態)に陥っていた可能性も指摘されます。実際、渡邉さんは暴言や暴行を受けても「わかった」と従順に返事をするばかりで、抵抗の素振りを見せなかったと報じられています。こうした心理的支配下では、被害者が自力で逃れるのは極めて困難です。

本事件を受け、「周囲の異変に気づくこと」の重要性が改めて論じられました。もし渡邉さん周辺の誰かが異変を察知し通報していれば、もっと早く救出できたかもしれません。また、共犯者たちも主犯に従うばかりでなく、途中で誰か一人でも勇気を出して止めていれば結果は違った可能性があります。事件後、警察や専門家は「閉鎖的な人間関係の中で暴力がエスカレートする兆候を見逃さないこと」「被害者が助けを求めていなくとも、周囲が関心を払い続けること」の大切さを訴えています。監禁や虐待は被害者本人からは発信しづらい分、周囲の目と支援が何よりの鍵となるのです。

法的には、今回のように監禁による衰弱死を殺人罪として立件・処罰できたことも注目されています。極端な虐待で死亡させた場合、故意を立証できず「傷害致死」等に留まるケースもあります。しかし本事件では、加害者らが救命措置をとらず放置した行為について「殺意(少なくとも未必の故意)があった」と認定され、主犯に懲役30年という極めて重い刑が科されました。司法がこうした残虐な犯罪に厳正に対処した姿勢は、市民の安心に繋がるものです。

滋賀・堺監禁殺人事件は、人々の心に大きな傷跡と教訓を残しました。二度とこのような悲劇を繰り返さないために、私たち社会全体が人間関係の中の兆候に目を凝らし、勇気を持って介入することが求められています。犠牲となった渡邉彰宏さんの無念を忘れず、闇に葬られがちな「身内・仲間内の暴力」に光を当て続けることが、真の再発防止への道と言えるでしょう。

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