大口病院連続点滴中毒死事件|久保木愛弓の被害者は20人以上いた!

不可解・不審死事件

旧・大口病院(現「横浜はじめ病院」)の正面入口。2016年にこの病院で連続点滴中毒死事件が発覚した。

2016年、神奈川県横浜市の大口病院(事件後に「横浜はじめ病院」に改称)で、高齢入院患者が相次いで不審死を遂げる事件が発生しました。点滴への異物混入による連続殺人事件であり、病院という命を預かる場で起きた凶悪事件として社会に大きな衝撃を与えました。本記事では、その事件の経緯や詳細、逮捕された元看護師のプロフィールと裁判の流れ、犯行動機の考察、そして確認された被害者数と潜在的な被害規模について、分かりやすくまとめます。

事件の経緯(発生から発覚まで)

大口病院連続点滴中毒死事件は2016年夏頃から発生し、9月に事件が発覚しました。4階の療養病棟で短期間に多数の患者が急死していたことが後に判明しています。事件当時、7~9月の約3か月(82日間)で実に48人もの患者が同じ病棟で死亡しており、その後事件発覚から約70日間は死亡者がゼロだったことから、異常な死亡率に医療関係者も疑問を抱きました。

発覚のきっかけは偶然の出来事でした。2016年9月中旬、ある入院患者の容体が急変した際に看護師が点滴袋をベッドに落としてしまい、袋内の輸液が激しく泡立ったことから不審物の存在が疑われたのです。調べると、点滴液に本来混入しているはずのない消毒液「ヂアミトール」(界面活性剤を含む消毒薬)が含まれていたことが判明しました。さらに2日前に同じ部屋で死亡した別の患者の遺体からも同じ消毒液の成分が検出され、他殺の疑いが濃厚となりました。

この事態を受けて神奈川県警は殺人事件として捜査を開始。病院内に残っていた未使用の点滴袋約50個を調べたところ、約10個の点滴袋のゴム栓部分に細い針で刺したような穴が見つかりました。警察は何者かが点滴に異物を混入し患者を中毒死させた連続殺人事件と断定し、神奈川警察署に特別捜査本部を設置しました。犯行手口から内部犯行が強く疑われましたが、消毒液「ヂアミトール」は院内の至る所に置かれ誰でも手に取れるものであったため、捜査は難航します。

その後の地道な捜査により、警察は病棟で働く看護師たちに絞って容疑者を特定していきます。犯行当時4階で勤務していた看護師全員の制服を鑑定したところ、ある看護師のエプロンのポケット付近からのみ消毒液の成分が検出されました。さらに、院内に捜査員が設置した防犯カメラには、夜勤中に担当患者とは無関係の薬剤を持って院内を歩き回るその看護師の姿が映っていたことも判明しました。同僚の証言でも「彼女(後述の容疑者)が患者の病室に一人で入って行き、5分後にその患者の容体が急変して亡くなった」という状況が確認され、こうした状況証拠の積み重ねから警察はその女性看護師を主要な容疑者として捜査を進めました。

容疑者のプロフィールと逮捕

事件から約2年後の2018年7月、神奈川県警は元大口病院看護師の久保木愛弓(くぼき あゆみ)容疑者(逮捕当時31歳)を殺人容疑で逮捕しました。久保木容疑者は福島県で生まれ、小学校高学年から神奈川県で育ち、看護師となった人物です。県立高校卒業後に横浜市内の看護専門学校へ進学し、いくつかの病院で勤務した後の2015年5月に大口病院に採用され、問題の病棟(4階病棟)を担当していました。事件発生は採用から約1年後のことであり、それ以前から院内では看護師同士のいじめやトラブルが頻発していたことも報じられています(看護師の白衣が切り裂かれる、カルテ紛失、他の看護師の飲み物に異物混入で唇がただれる等)。慢性的な人間関係の悪化から複数の看護師が辞職し、現場は張り詰めた雰囲気だったと言います。久保木容疑者自身も後に「看護部長がお気に入りの看護師とそうでない看護師をランク付けし待遇に差をつけていた。それは良くないことだと思う」などと内部の人間関係の問題を指摘していました。

逮捕直前、警察の事情聴取に対し久保木容疑者は当初から疑われていたにもかかわらず事件への関与を否定し、マスコミの取材にも応じて「なぜこんなひどいことをしたのか。自分の家族が同じことをされたらどう思うのか。絶対許せません」などと自ら犯人を非難する手紙まで送っていました。しかし捜査本部の執念の追及により、2018年6月末頃からの取り調べでついに観念し犯行を認めます。同年7月7日、警察が任意同行を経て久保木容疑者を殺人容疑で正式逮捕すると、取り調べに対して彼女は素直に事実を認め始めました。続いて7月28日には別の患者に対する殺人容疑でも再逮捕され、本格的な捜査となります。

逮捕時、久保木容疑者は驚くべき供述をしました。警察の調べに対し「点滴に消毒液を混入したことに間違いありません。入院患者20人ぐらいにやりました」」と、自身の犯行を詳細に語り始めたのです。3件の明確な殺人容疑以外にも、自白ベースでは20人前後に対して同様の行為を行ったことを示唆したため、警察は事件の全容解明を急ぎました。しかし亡くなった他の患者たちは高齢かつ持病を抱えた終末期の方も多く、事件との因果関係を裏付ける証拠の確保は困難を極めました。実際、同時期に死亡した他の複数患者の体内からも消毒液成分が検出されましたが、個々の殺人容疑で立件するには至らないケースもあり、最終的に検察は立証可能と判断した3件の殺人5件の殺人予備(未遂)容疑に絞って起訴へ踏み切りました。

裁判の経過と判決内容

2018年12月、横浜地方検察庁は久保木被告を患者3人に対する殺人罪および5人分の点滴への消毒液混入(殺人予備罪)で横浜地方裁判所に起訴しました。起訴事実によれば、久保木被告は2016年9月に入院患者の興津朝江さん(当時78歳)西川惣蔵さん(当時88歳)八巻信雄さん(当時88歳)の点滴バッグに消毒液「ヂアミトール」をそれぞれ混入し中毒死させたほか、他にも5つの点滴袋に消毒液を注入したとされています。2016年9月18日から20日にかけて同じ病室で立て続けに3名が急変・死亡したことが起訴事実の中心ですが、捜査の結果、うち2名については久保木被告が勤務交代の時間帯(自身が不在となる時間)に投与される点滴袋へ事前に毒物を混入し、もう1名については同僚看護師の勤務終了前に容態を急変させる必要があったため点滴中のバッグに直接混入したと認定されました。久保木被告は起訴後の精神鑑定で自閉スペクトラム症(発達障害)の特性が指摘されましたが、刑事責任能力に問題はないと判断され、公判に臨むことになります。

横浜地裁での裁判員裁判初公判は2021年10月1日に開かれました。久保木被告は法廷で起訴内容を問われ「すべて間違いありません」と犯行事実を全面的に認めました。一方で弁護側は「被告人は犯行当時、統合失調症により心神耗弱の状態だった」と主張し、責任能力の欠如を訴えました。しかし検察側は、久保木被告には明確な計画性と動機があり完全責任能力が認められるとしてこれを退け、求刑公判では死刑を求刑しました。検察が主張した動機については次の章で詳述しますが、彼女が犯行に及んだ背景には「勤務中に患者が死亡すると遺族対応が大変だ」という自己都合の動機があり極めて悪質だと指摘されました。弁護側は逆に、被告人が事件当時精神疾患の影響で善悪の判断が十分できない状態にあった可能性を主張し、死刑回避を求めました。

同年11月9日、横浜地裁で判決公判が開かれました。裁判所はまず弁護側の主張した統合失調症の影響を否定し、「被告人は違法な行為であることを十分認識しており、犯行時に完全な責任能力があった」と判断しました。その上で、計画的かつ看護師という立場を悪用した犯行であり動機にも酌量の余地はないと厳しく非難しました。しかし一方で、被告人には自閉スペクトラム症由来の対人関係の不器用さや問題解決能力の偏りが見られ、過去に患者家族から怒鳴られ強い恐怖を感じた経験が犯行動機の形成に影響している点などが考慮されました。さらに久保木被告が自ら「死刑になって償いたい」と述べるほど強い贖罪の意思を示し、反省していることから更生の可能性が認められると判断し、裁判所は死刑を回避して無期懲役の量刑を言い渡しました。3人以上を殺害し責任能力も認められる被告人に死刑を適用しなかった判決は日本の裁判史上でも異例とされ、大きな注目を集めました。

判決を不服とした検察側と弁護側の双方が直ちに控訴し、舞台は東京高等裁判所に移ります。控訴審初公判は2023年12月15日に開かれ、検察は改めて「無差別型の連続殺人で極めて悪質」として死刑適用を求める主張を展開しました。一方、弁護側は「裁判員裁判の慎重な判断を覆し死刑にするのは不当」と訴え、引き続き無期懲役維持を求めました。2024年6月19日、高裁判決公判で東京高裁は一審の無期懲役判決を支持し、検察・弁護側双方の控訴を棄却する判決を言い渡します。高裁も「3人もの尊い命が奪われ計画性も認められる以上、本来は死刑も十分考えられる事案」としつつ、一審が示した動機形成過程や更生可能性の判断は不合理ではないと結論付けました。また「確定的な殺意に基づく残虐な犯行ではあるが、私利私欲や怨恨による殺人とは異なる」と指摘し、慎重な審理を経てなお真にやむを得ない場合でなければ死刑を選択すべきでないとの判断を示しました。検察・弁護側ともに上告を断念し、2024年7月4日付で久保木被告の無期懲役が確定しています。

犯罪心理と犯行の動機

久保木被告がなぜこのような恐ろしい犯行に及んだのか――その動機については本人の供述や公判でのやりとりから徐々に明らかになりました。彼女の供述によれば、犯行動機は身勝手にも「自分の勤務中に患者に亡くなられると、遺族への説明が面倒だったから」というものでした。久保木被告は過去に担当患者が死亡した際、同僚から「あなたのミスではないか」と指摘された経験があり、さらに他の看護師が亡くなった患者の家族に問い詰められている場面も目撃したことから、「自分の勤務中に患者が亡くなれば同じように非難されるのでは」という不安を募らせていったといいます。その恐怖心から、「患者が亡くなるなら自分の手の離れた時間に」と考えるようになり、勤務交代(引き継ぎ)の時間帯に点滴に消毒液を混入する犯行を思いついたとされています。実際「夜勤から日勤へ引き継ぐ朝の時間帯に混入していた」と供述しており、同僚が勤務についている最中に患者が急変・死亡するよう仕向けて、自分は難しい説明や家族対応から逃れようとしていたのです。

犯行を繰り返すうちに本人は「感覚がマヒしていった」と述べており、次第に罪悪感が薄れていった様子もうかがえます。また、犯行当時2か月ほど前(2016年7月頃)から同様の点滴汚染を開始したとも供述しており、周囲の看護師たちも「最初は1日に1人亡くなる程度だったのが、いつの間にか1日に3人、5人と増え、9月には1日8人亡くなる日もあった。4階は様子がおかしいと話題になっていた」と証言しています。この証言からも、短期間に異常なペースで患者死亡が相次いだ異様さが伝わってきます。

専門家の視点からは、久保木被告の犯行には職場環境に対する鬱積した怒りの影響もあったのではないかと指摘されています。精神科医の片田珠美氏は「彼女は同僚や上司に対して怒りを覚えていた可能性がある」とした上で、もし病棟内で起きていた白衣切り裂きやカルテ紛失、同僚の飲み物汚染といった嫌がらせも同一犯の仕業だとすれば、それらは他の看護師に向けた怒りの発露だったのではないかと推測しています。やがて怒りの矛先が弱い立場の患者へと向けられ(心理学でいう「置き換え」)、患者の点滴に無差別に消毒液を入れるという凶行に及んだ可能性も指摘されています。つまり久保木被告は、自分が嫌う同僚の勤務時間中に患者が死亡するよう仕向けることで、間接的に同僚たちへ復讐願望を満たそうとしたとも考えられるのです。もっとも、これらはあくまで専門家による心理分析であり、犯行当時の彼女の内面ですべて何が起こっていたのかは本人にすら計り知れない部分もあります。公判で明らかになった事実としては、彼女自身が「担当患者が亡くなった時に同僚から自分のミスを指摘されショックだった」と証言していることや、大口病院に就職した採用面接時から既に「人の死に対して不安がある」と語っていたという情報も報じられており、生と死の最前線で働くことへのストレスや不適応が犯行の背景にあった可能性がうかがえます。

被害者の人数と潜在的な被害規模

本事件で確認された犠牲者(殺人事件の被害者)は、公判で立証された範囲では3名です。興津さん、西川さん、八巻さんの3人が久保木被告による点滴中毒死の被害者として殺人罪で認定されました。しかし、久保木被告自身の供述や物的証拠の状況からは、被害はそれに留まらない可能性が指摘されています。久保木被告は逮捕後の取り調べで「入院患者20人ぐらいにやった」と語っており、警察・検察も当初は二桁に及ぶ犠牲者の存在を念頭に捜査を進めました。事件前の約3か月間に同一病棟で48人もの患者が亡くなっていたという異常事態から、仮にその大半が犯行によるものだとすれば20人以上が殺害された可能性も否定できません。実際、他の患者数名からも消毒液成分が検出されており、警察は真相解明に努めましたが、医療事故との区別や証拠の不足もあり立件は困難でした。

最終的に起訴されたのは先述の3名の死亡事件と、幸い死亡に至らなかった5件の未遂(点滴への異物混入)に限られました。このため公式に「殺人事件の被害者」と認定されたのは3名ですが、潜在的な被害者数は20名以上に上る可能性があります。もし久保木被告の自供通り多数の患者を手にかけていたとすれば、本事件は戦後日本の医療犯罪として最悪規模の連続毒殺事件となります。いずれにせよ、事件発覚前後のデータが示す不自然な死亡数の増減(発覚前の3か月で48人死亡、発覚後約2か月は死亡者ゼロ)は、この病棟で何らかの異常事態が進行していたことを如実に物語っています。

本事件は医療の現場における連続殺人という稀有で衝撃的なものであり、多くの高齢者が「最期の場所」としていた療養病床が舞台だったことから終末期医療の在り方にも一石を投じました。事件後、旧大口病院は一時閉鎖され経営陣も交代。2017年末に「横浜はじめ病院」と名前を変えて診療を再開しましたが、事件発生当時と同様に療養病棟を設置し終末期の高齢者医療を担っています。二度とこのような悲劇を繰り返さないため、病院内の管理体制や職場環境の改善、医療安全への監視体制強化が強く求められました。また、本件を契機に患者の安全確保と医療従事者のメンタルヘルスケアの重要性が改めて認識され、社会全体で終末期医療の課題について議論が深まる結果ともなりました。

【参考資料】 大口病院事件に関する主要報道および資料を以下に示します。

  • 大口病院連続点滴中毒死事件に関するWikipedia項目ja.wikipedia.orgja.wikipedia.orgja.wikipedia.org(事件概要や裁判経過の要約)
  • 横浜地裁判決に関する新聞報道(毎日新聞 2021年11月9日 他)ja.wikipedia.orgja.wikipedia.org
  • 東京高裁判決に関する報道(産経新聞 2024年7月5日 他)ja.wikipedia.org
  • 久保木被告の犯行動機に関する詳細報道(ダイヤモンド・オンライン 2024年6月18日)diamond.jp
  • 事件当時の病棟環境についての報道(NEWSポストセブン 2016年10月20日号)ja.wikipedia.orgなど。

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