事件の概要
福岡県筑後市の中古品リサイクルショップ「エース」で、2004年(平成16年)から2006年(平成18年)にかけて信じられない悲劇が密かに進行していました。店の経営者夫婦による常軌を逸した暴力によって、従業員や関係者あわせて4名もの尊い命が奪われたのです。当時この店では、少しのミスも許されない異様な“しつけ”が行われており、罰と称して従業員に日常的な暴行や食事抜きが強いられていました。店員たちは恐怖に支配され、逃げ出すこともできないまま、次第に衰弱していったといいます。私たちの身近にこんな地獄が存在していたなんて――想像するだけで震えるような事件です。
この事件では、まず2004年に若い従業員2人が相次いで死亡し、さらに2006年には経営者の義理の弟と幼い男児までもが命を落としました。しかし当時、これらの死亡は店側によって巧妙に隠蔽されてしまい、被害者たちは「行方不明」とされていました。被害者家族は警察に何度も訴え出たものの、真相が明るみに出るまで約10年もの歳月が費やされることとなったのです。2014年、経営者夫婦が別件の窃盗容疑で逮捕されたことをきっかけに状況が一変します。夫婦の供述に基づく捜索で人骨の破片が発見され、DNA鑑定によりそれが行方不明になっていた従業員のものだと確認されたのです。こうして長らく闇に葬られていた事件がようやく発覚し、日本中に大きな衝撃を与えました。
犯人と被害者の情報
犯人として逮捕・起訴されたのは、このリサイクルショップを経営していた中尾知佐(なかお ちさ)被告と中尾伸也(なかお しんや)被告の夫婦です。逮捕当時、妻の知佐は45歳、夫の伸也は47歳で、筑後市内で店を構えていました。表向きは小さなリサイクルショップ経営者でしたが、その裏の顔はあまりにも恐ろしいものでした。知佐被告は幼い頃から多くの妹弟の面倒を見て育ち、非常に勝ち気で他人を支配したがる性格だったと言われています。結婚前は福岡市内のクラブでホステスをしており、美人でスタイルも良かった彼女に伸也被告が心酔して結婚したとも報じられました。夫婦は事業に失敗を重ね、一時は揃って自己破産も経験しています。2003年に筑後市でリサイクルショップを開業したものの経営は苦しく、そこで従業員に対する過剰な締め付けと搾取が始まったのです。知佐被告は店の「部長」として経理や従業員管理を掌握し、伸也被告は「社長」として商品の仕入れ役を担っていました。しかし実態は、従業員を暴力と恐怖で支配する究極のブラック企業だったのです。
犠牲となった被害者は、報道で明らかになっている範囲で4名にのぼります。最初の被害者は、リサイクル店で働いていた古賀雄喜さん(当時19歳)です。古賀さんは2004年5月末から6月中旬頃、経営者夫婦と同居させられていたアパートで死亡しました。当時19歳という若さで、夢や未来もあったでしょうに、理不尽な暴行の日々に命を奪われたかと思うと胸が痛みます。さらに同年6月下旬には、同じく従業員だった日高崇さん(当時22歳)が、同じアパートで死亡しました。彼もまた日常的な暴力の標的とされており、顔には見るに堪えないほどの黒いあざができていたといいます。古賀さんと日高さん、仲の良かった二人が共に命を落としたことは、想像を絶する恐怖と苦痛の末だったでしょう。その後、2006年になると矛先は身内にまで向けられました。知佐被告の実妹の夫で、この店で働き始めた冷水一也さん(当時33〜34歳)が、夫妻の暴行により2006年9〜10月頃に死亡しています。一也さんは義理とはいえ家族同然の存在です。それすらも虐待死させてしまうとは、もはや常識では計り知れない狂気です。そして極めつけは、一也さんの幼いご長男、冷水大斗ちゃん(当時4歳)でした。大斗ちゃんは両親から引き離される形で中尾夫婦の自宅に預けられ、彼女らの“養育”を受けるうちに衰弱し、2006年秋頃にわずか4歳で帰らぬ人となってしまったのです。大斗ちゃんが「ご飯ちょうだい」と甘えるように訴えていたのに、虐待は止まらなかったという報道もあり、その光景を思い浮かべるだけで胸が張り裂けそうです。
裁判の内容
事件発覚から約10年が経過した2014年、福岡地検は中尾知佐被告と伸也被告を正式に起訴しました。起訴内容は3人の死亡に関する殺人罪および傷害致死罪などです。具体的には、2004年6月に日高崇さんを殺害した容疑(殺人罪)、そして2006年10月頃に義弟の冷水一也さんと長男の大斗ちゃんを死亡させた容疑(傷害致死罪)が主な訴因となりました。なお、古賀雄喜さん(当時19歳)の死亡については傷害致死容疑が浮上したものの、公訴時効の成立により起訴されないままとなっています。これは時効制度の壁とはいえ、古賀さんの無念を思うとやりきれません。
2016年に福岡地方裁判所で開かれた裁判員裁判では、夫婦それぞれの責任の所在と殺意の有無が大きな争点となりました。検察側は「中尾夫妻は従業員らを自分たちの支配下に置き、日常的に激しい暴行を加えていた」と指摘し、「両被告人は共謀の上で、人が死ぬ危険性を認識しながら虐待を止めなかった」と主張しました。これに対し、知佐被告の弁護側は一貫して容疑を否認し、「暴行は夫がやったことで私は知らない」として、少なくとも殺人罪については無罪だと主張しました。
約2か月にわたる公判を経て、まず妻・知佐被告に対する判決公判が2016年6月24日に言い渡されました。裁判長は知佐被告に懲役30年(求刑は無期懲役)を言い渡しました。しかし殺人罪の成立について、福岡地裁は「明確な殺意を認めるには証拠不十分」と判断し、殺人罪は不成立とされました。一方で裁判所は、「犯行の枠組みを主導したのは知佐被告人」と明確に認定し、「結果はあまりにも重大で、犯行態様も陰湿極まりない」と強く非難しました。
続いて夫・伸也被告にも2016年8月8日に懲役28年(求刑無期懲役)の判決が言い渡されました。主導は妻とされつつも、夫もまた暴行の共犯として重く責任を問われたのです。判決後、検察・弁護双方が控訴しましたが、判決は高裁でも支持され、最終的に懲役30年と28年が確定しました。
社会的反響や報道の様子
この事件が明るみに出た2014年当時、メディアは連日大きく報じました。福岡県内で起きた複数の不審な失踪と死亡――まるで現代の「奴隷労働」を思わせる事件の全貌に、世間は戦慄したのです。「ブラック企業の極地」「現代の奴隷労働」といった見出しが並び、関係者の証言が次々と明らかになりました。被害者の親族による捜索願や訴えはたびたび警察に届けられていたにもかかわらず、事態が長らく放置されていたことにも批判が集まりました。
また、この事件は同じ福岡県で起きた北九州監禁殺人事件(松永太・緒方純子事件)を想起させるとの声もありました。弱い立場の人間を精神的・肉体的に追い詰め、共犯関係すら作り出して複数の命を奪うという構図に、戦慄した人も多かったのです。相次ぐ凶悪事件の陰で、一体何が人をここまで狂わせるのか——報道各社はその深層心理にも迫ろうと、知佐被告の生い立ちや人格にスポットを当てました。週刊誌の取材では、彼女が子供の頃に「弟妹の世話をする母親代わりだった」「妹が苛められると飛んで行って相手を怒鳴りつけていた」など、幼少期から強い支配欲と攻撃性を見せていたという証言も報道されています。家庭環境の不遇さが彼女の人格を歪めたのかもしれませんが、だからといって許されるはずもありません。メディアには「モンスター妻」「洗脳支配の女王」といった刺激的な見出しも躍りましたが、世論の大勢はむしろ冷静で、「どんな事情があろうと犯した罪は極刑に値する」「被害者があまりに救われない」という怒りと悲しみの声が支配的でした。
最後に
事件の詳細を知れば知るほど、筆者の胸には怒りと悲しみが渦巻いています。何より、亡くなられた4人の無念を思うと涙が止まりません。特に4歳の大斗ちゃんの最後を考えると、胸が張り裂けるような思いです。「ご飯ちょうだい」「お家に帰りたいよ」と心の中で泣いていたかもしれません。それを思うと悔しくて、悲しくて、どうしようもない気持ちになります。
そして同時に、筆者は激しい怒りを禁じ得ません。中尾知佐・伸也被告の行為は、人間の尊厳を踏みにじる極みです。働きに来た若者たちを食い物にし、暴力で支配し、挙句の果てに命まで奪うとは、もはや鬼畜の所業ではないでしょうか。
判決についても、正直なところやり切れなさが残ります。殺人罪が認められず、最終的に懲役30年と28年という刑期が下されましたが、それでも有期刑です。4人もの命を奪いながら、自分たちは老後を迎えられるかもしれないという現実に、強い無念さを感じずにはいられません。
最後に、この事件から私たちが学ばねばならないのは、二度と同じ悲劇を繰り返さないという社会の決意です。暴力による支配や洗脳の構造に、社会が目を背けてはならないと痛感します。
被害者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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