佐世保女子高生殺害事件|徳勝もなみのその後

凶悪事件

2014年7月26日、長崎県佐世保市で発生した「佐世保女子高生殺害事件」は、日本中を震撼させた猟奇的殺人事件である。加害者も被害者も当時15歳の女子高生で、しかも中学時代からの親友同士という事実は、多くの人々に言葉を失わせた。

加害者の徳勝もなみは、同級生の松尾愛和さんを自宅マンションに招き入れ、後頭部を殴打し首を絞めて殺害。その後、遺体の首と左手首を切断するという残虐極まりない行為に及んだ。動機は「人を殺して解体してみたかった」「体の中を見たかった」という、常軌を逸したものだった。

事件の背後には、エリート一家の崩壊、母親の死、父親との確執、そして少女の精神的問題など、複雑な要因が絡み合っていた。本記事では、この衝撃的な事件の全貌と、その後の経緯について詳しく追っていく。

事件の概要と発覚の経緯

事件発生日時:2014年7月26日

事件現場:長崎県佐世保市島瀬町のマンション(加害者の一人暮らしのマンション)

加害者:徳勝もなみ(当時15歳、佐世保北高校1年生)

被害者:松尾愛和さん(当時15歳、佐世保北高校1年生)

2014年7月26日の午後、徳勝もなみと松尾愛和さんは佐世保市内の繁華街でショッピングを楽しんだ後、徳勝のマンションに向かった。午後6時頃、松尾さんは母親に「7時頃に帰宅する」とメールを送っている。しかし、約束の時間を過ぎても娘が帰宅しないことを心配した両親が警察に捜索願を出した。

翌27日未明、警察が徳勝のマンションを訪ねると、松尾さんが死亡しているのが発見された。遺体は首と左手首が切断され、腹部にも複数の切り傷があるという凄惨な状態だった。現場にいた徳勝もなみは、殺人の容疑を認めたため、その場で緊急逮捕された。

加害者・徳勝もなみのプロフィールとエリート一家

徳勝もなみは1998年7月27日生まれ。長崎県佐世保市で、誰もが羨むようなエリート一家に育った。

父親・徳勝仁:早稲田大学政治経済学部卒業後、司法試験に合格し、佐世保市内で県内最大手の法律事務所を経営する売れっ子弁護士。ジャパネットたかたの顧問弁護士も務め、地域の名士として知られていた。スピードスケート選手としても活躍し、政治家への道も考えていたとされる。

母親・徳勝宏子:東京大学文学部卒業後、テレビ長崎の記者として活躍。結婚後は子育て支援やシングルマザーサポートのNPO法人を立ち上げ、市の教育委員も8年間務めるなど、教育や女性支援に熱心だった。長崎県スケート連盟の会長も務めていた。

兄・徳勝丈:もなみより5歳年上で、父親の母校である早稲田大学に通い、弁護士を目指していた秀才。しかし、もなみが中学3年生だった2013年10月に膵臓がんで病死している。

徳勝もなみ自身も、幼い頃から学業は優秀で、スポーツにも積極的に取り組んでいた。スピードスケートでは国民体育大会に出場し、2012年には佐世保ピアノコンクールで準優勝、2014年2月には美術作品展の版画部門で県知事賞を受賞するなど、文武両道の才女として知られていた。

中学校では放送部に所属し、NHKアナウンサーになるのが夢だった。また「検事になって法廷で弁護士である父や弁護士志願者である兄と戦いたい」という夢を語ったこともあったという。

しかし、その一方で「あまり笑う子ではなかった」「頭が良すぎて特殊な子」といった評価もあった。完璧に見えるエリート一家には、すでに闇が広がり始めていたのである。

事件に至るまでの経緯|小学校時代からの問題行動

小学6年生時の給食への異物混入

徳勝もなみの異常性は、小学生の頃からすでに表れていた。小学6年生の時、気に入らない女子生徒の給食に漂白剤や洗剤を混入するという事件を起こしている。この時は女子生徒が被害を黙っていたため、事件は表面化せずに済んでいた。

しかし、その後も特に交流もない男子生徒の給食にも薬物を混入するなど行動がエスカレート。この男子生徒がすぐに担任教師に被害を報告したことで、徳勝もなみの嫌がらせ行為のすべてが表面化した。市の教育委員会が調査に乗り出すほどの大騒動へと発展したが、母親の宏子さんが被害者の両親たちに土下座して謝罪し、裁判沙汰は避けられた。

この事件により、もなみはクラスから孤立し、不登校気味となった。「頭が良すぎて変わっている」「暗い」と同級生に思われるようになり、小学生の頃から家出を繰り返すなど、サイコパス的な気質がすでに見られていた。

中学時代の小動物虐待

環境を変えるため、もなみは中学受験をして県立佐世保北中学校(中高一貫教育の名門校)に合格した。放送部に所属し、表面的には落ち着いたように見えたが、実際は小動物への虐待癖は改善しておらず、猫を解剖することもあった。この不気味な行動は学校でも噂になり、もなみを敬遠していた生徒もいたという。

母親の宏子さんは娘の異常行動から、中学を卒業後は海外留学させようと考え、2012年より留学先を探していたとされる。娘を更生させようと必死だった母親だったが、運命は残酷だった。

母親の死と家庭の崩壊|父娘関係の悪化

2013年10月、徳勝もなみが中学3年生に進級した頃、母親の宏子さんが膵臓がんで帰らぬ人となった。母親は生前、父親に「必ずすぐ再婚して」という遺言を残していたとされる。

母親を亡くした後、父親の仁さんは夜な夜な繁華街に繰り出すようになり、2014年3月には婚活パーティーで知り合った30代前半の女性との再婚話が浮上した。仁さん的には、地域の問題児化している娘や妻の病死といった辛い現実から逃れたい気持ちもあったのかもしれない。

しかし、多感な時期のもなみにとって、父親の行動は母親への裏切り行為に感じられた。父娘の関係は急激に悪化し、2014年2月には、もなみが父方の祖母と養子縁組をして、仁さんの戸籍から外れるまでになった。

父親への殺人未遂

2014年3月2日、もなみは就寝中の父親の頭を金属バットで複数回殴るという殺人未遂事件を起こした。父親は一命を取り留めたが、「事件にはしたくないので誰にも言わないでくれ」と周囲に口止めし、表沙汰にはしなかった。この時しっかり対処していれば、後の惨劇は防げたかもしれない。

この事件をきっかけに、もなみは精神科に通院するようになった。担当の精神科医は、カウンセリングを通じて、もなみが「人を殺してみたい」「体の中を見たかった」という願望を持っていることを知り、宮崎勤事件や酒鬼薔薇聖斗事件の加害者たちと同様の兆候があると診断。「このままだと人を殺しかねない」と長崎県の児童相談施設に相談したが、もなみの実名は報告されず、有効な対策は取られなかった。

精神科医からは「同じ家で寝ていると命の危険がある」と助言され、父親は2014年4月から、もなみを事件現場となるマンションで一人暮らしさせることになった。そして同年5月、父親は再婚した。

事件直前の状況|周囲が感じていた不安

2014年4月、もなみは佐世保北高校に進学したが、「秋から海外留学する」と称して不登校になった。1学期は3日間しか登校していない。一人暮らしという環境が、不登校の口実にもなっていた。

学校側はもなみの身を心配し、中学時代の担任や高校の担任教師をマンションまで派遣して悩み相談に乗ったり、精神科医を交えてカウンセリング治療を受けさせるなど、できる限りのことをしていた。

事件前日の2014年7月25日には、父親と周囲が警察への相談を検討したが、話し合いの結果見送られ、児童相談所に連絡を取ることで意見がまとまった。しかし、その日「佐世保こども・女性・障害者支援センター」に電話したところ、サマータイムで勤務時間が終了しており、担当者から「今日は終わった。月曜日(28日)にしてくれ」と断られてしまった。

もしこの時、相談窓口が対応していたら、翌日の惨劇は防げたかもしれない。しかし、運命の歯車は既に回り始めていた。

犯行の詳細|親友に対する残虐な殺害

事件数日前、もなみはホームセンターで犯行の凶器となる金槌と犬用のリードを購入していた。計画的犯行であることは明白だった。

2014年7月26日午後、もなみは被害者の松尾愛和さんと佐世保市内の繁華街で買い物を楽しんだ後、自宅マンションに誘い込んだ。何も知らない松尾さんは、午後6時頃、母親に「7時頃に帰宅する」とメールを送っている。これが松尾さんからの最後の連絡となった。

マンションに到着後、もなみは隙を見て松尾さんの後頭部を工具(金槌)で数回殴打し、ペット用のリードで首を絞めて殺害した。その後、遺体の首と左手首をノコギリで切断し、腹部にも刃物で複数の切り傷をつけるという猟奇的な行為に及んだ。

取り調べに対し、もなみは「殴ってから首を絞めた。全て私1人でやりました。誰でも良かった」「人を殺して解体してみたかった」「体の中を見たかった」などと、悪びれる風もなく淡々と自供している。遺体を解体したのは遺棄しやすくするためではなく、単純に人体を解剖してみたいという心の欲求に従ったものだったという。

警察の調査では、2人の間にトラブルは確認されなかった。むしろ、松尾さんはアニメ好きという共通の趣味でもなみと意気投合し、中学時代から最も仲の良い友人だった。高校に進学してももなみが不登校になった後も、友人を見捨てずに交流を持ち続けていた優しい少女だった。そんな親友を、もなみは自らの欲求を満たすために犠牲にしたのである。

被害者・松尾愛和さんについて

松尾愛和さん(当時15歳)は、海上自衛隊員の父親を持つ明るい少女だった。もなみとは中学時代からの友人で、アニメ好きという共通の趣味を通じて親しくなった。

高校進学後、もなみが不登校になってからも、松尾さんは友人を気にかけ、交流を続けていた。事件数日前には、もなみから「会いたい」とのメールが届き、2人で遊ぶ約束を交わしていた。

事件後、両親は代理人弁護士を通じてコメントを公表した。「大切に育ててきた、またこれからも育てていくつもりの娘との突然の別れがどうにもまだ信じられずにおります」という言葉は、親の無念さを物語っている。

事件後の展開|父親の自殺と家族の崩壊

父親の自殺

事件発覚後、父親の仁さんは「佐世保女子高生殺害事件」が家庭環境の不備で起こった犯罪として扱われ、マスメディアから大バッシングを受けた。地域の名士として知られていた弁護士が、一転して批判の的となった。

長崎県教育委員会による事件の中間報告書では、小6の時の給食への異物混入事件について「保護者の意向でカウンセリングが2回しか行われなかった」と指摘され、保護者への説得を重ねる必要があったのではないかと記述された。一方的に罪を押し付けられたと感じた仁さんは憤慨していたという。

代理人弁護士によると、父親は事件後「私は生きていていいんでしょうか」と話すなど、深く落ち込んでいた。弁護士は「生きていてもらわないと困る」と答えていたが、事件から約2ヶ月半後の2014年10月5日、仁さんは佐世保市花園町の自宅で首を吊って自殺した。発見したのは父親の知人で、遺書はなかった。

10月3日に弁護士と電話で話したのが最後となった。事故物件の情報提供ウェブサイト「大島てる」には、父親の住む一軒家を事故物件として書き込む人まで現れ、「この情報は削除したほうが良いのではないか」と指摘が寄せられていたが、父親の自殺により本当の事故物件になってしまった。

兄のその後

もなみの兄・徳勝丈さんは、事件当時早稲田大学に通っていたが、妹の事件のせいで大学にいられなくなり、退学を余儀なくされた。幼少期からの目標だった弁護士への夢が、妹の事件によって絶たれる形となった。

しかし、その後継母の徳勝素さんが財産を整理して学費や生活費を工面し、支援を続けた結果、丈さんは2022年から早稲田リーガルコモンズ法律事務所で弁護士として活動している。

継母の支え

父親の再婚相手である徳勝素さんは、宮城県仙台市出身の資産家令嬢で、ピアノや乗馬を趣味に持つ女性だった。結婚話が持ち上がった際には、複雑な家庭に嫁ぐことに対して実家の両親から大反対があったという。

夫が自殺した後も、素さんは「徳勝もなみを支える」と言って離婚せず、もなみの帰りを待ち続けている。また、義理の息子である丈さんの弁護士になる夢を叶えるために、自分の財産を整理して学費や生活費を1人で工面したという。

精神鑑定と裁判|医療少年院送致の決定

長崎地方検察庁は精神鑑定を検討し、2014年8月8日、佐世保簡易裁判所が精神鑑定留置を認めた。もなみは8月から3ヶ月間、精神鑑定のため医療機関に鑑定留置された。

2015年1月20日には、前年3月2日の父親に対する殺人未遂(就寝中の父親の頭を金属バットで複数回殴った)の容疑でも再逮捕された。

2015年7月13日、長崎家庭裁判所はもなみに対し、医療少年院(第3種少年院)送致とする保護処分の決定を出した。平井健一郎裁判長は「重度の自閉症スペクトラム障害(ASD)が見られるものの、それが非行に直結したわけではなく、環境的要因の影響もあった」との趣旨のことを述べた。

裁判長は、もなみは共感性が欠如した重度のASDであり、他者に攻撃的な傾向がある素行障害も併発していると指摘。「刑罰による抑止効果はなく、長期間の治療教育が期待できる」として、特性に応じた治療教育が期待できる第3種少年院に送致する保護処分を決定した。

担当の精神科医は「この子を精神科から出すのは危険」と述べ、担当刑事は「この子と2人でいると変な汗をかく」と話していたという。もなみの危険性は、専門家にも明確に認識されていた。

現在の状況|医療少年院での収容

徳勝もなみは現在も医療少年院に収容されている。どこの少年院に収容されているかは公表されていないが、第3種少年院は日本に2ヶ所しかなく、京都府宇治市の京都医療少年院か、神奈川県相模原市の関東医療少年院のいずれかと考えられる。ネット上では京都医療少年院に収容されているとの情報もある。

日本の少年院法では、原則の収容期間は20歳までだが、精神に著しい障害がある場合、最大26歳になるまで収容期間を延長することが可能である。もなみは当初23歳までの収容が決定されていたが、2021年9月、長崎家裁が26歳までの収容継続を決定した。23歳を超えての収容は初めてのケースだった。

継続して専門的治療を行いながら社会生活に適応できるよう、特別な教育が実施されている。もなみは弁護士と2、3ヶ月に1回面会をしており、面会のほかにも手紙のやり取りをしていると報道されている。

しかし、被害者遺族に対して一切謝罪を行っておらず、それどころか反省した様子すら見せていないという。もなみが幼い頃から抱いていた「人の中身を見てみたい」「人を殺して解体したい」という本能的な欲求を矯正することができるのか、専門家の間でも疑問視する声がある。

出所後の身柄は、継母の素さんか兄の丈さんが引き取る可能性が高いとされている。ただし、もなみの出所時期については、2024年8月下旬とする情報もあったが、正確な情報は明らかになっていない。少年院を出た後も生涯にわたって対応を継続する必要があるとされ、社会復帰には多くの課題が残されている。

事件が社会に与えた影響

この事件は、少年犯罪の凶悪化と精神医療の課題を改めて社会に突きつけた。精神科医が「このままだと人を殺しかねない」と児童相談施設に相談していたにもかかわらず、実名が報告されず、有効な対策が取られなかったことは大きな問題として指摘された。

また、事件前日に児童相談窓口に電話したものの、サマータイムで受付時間が終了しており、「月曜日にしてくれ」と断られたことも、行政の対応の不備として批判された。もし適切なタイミングで相談が受けられていたら、事件は防げたかもしれない。

メディアでは、事件の影響を受けて番組内容が変更されるケースもあった。2014年7月31日放送予定だった『奇跡体験!アンビリバボー』では、「アメリカで起きた信じられない女子高生殺人事件」の放送が予定されていたが、本事件を連想させるとして内容が差し替えられた。また、フジテレビの深夜アニメ『PSYCHO-PASS サイコパス 新編集版』第4話も放送中止となった。

この事件は、エリート一家の崩壊、親子関係の歪み、精神疾患への対応、行政の支援体制の不備など、現代社会が抱える多くの問題を浮き彫りにした。10年以上経った今でも、事件の教訓は決して忘れられてはならない。

最後に

佐世保女子高生殺害事件は、15歳という若さで起きた猟奇的殺人事件として、今なお人々の記憶に深く刻まれている。エリート一家に生まれ、才能に恵まれた少女が、なぜこのような凶行に及んだのか。その答えは簡単には見つからない。

母親の死、父親との確執、精神的問題、そして周囲の対応の遅れ。さまざまな要因が重なり合い、取り返しのつかない悲劇が生まれた。何より、何の罪もない松尾愛和さんが命を奪われたという事実は、どんな理由があっても正当化できるものではない。

事件から10年以上が経過した今、徳勝もなみは医療少年院で治療を受け続けている。果たして彼女が社会に復帰する日は来るのか。そして、社会復帰した場合、再犯の可能性はないのか。多くの不安と疑問が残されたままである。

この事件を通じて、私たちは何を学び、何を変えていくべきなのか。精神医療の充実、児童相談所の体制強化、家族関係のサポート、学校との連携など、課題は山積している。

二度とこのような悲劇が繰り返されないよう、社会全体で考え、行動していく必要がある。松尾愛和さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、ご遺族の心の傷が少しでも癒えることを願ってやまない。

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