事件の概要
山形・東京連続放火殺人事件は、2010年から2011年にかけて発生した連続殺人事件です。犯人の浅山克己(逮捕時46歳)はゲイの男性で、自身の元交際相手2人の親族あわせて3名を殺害し、その住宅に放火しました。具体的には、2010年10月に山形県で元交際相手Aの実家を放火してAの両親2名を焼死させ、翌2011年11月には東京都江東区で別の元交際相手Bの母親を殺害して火を放つという残忍な犯行を重ねたのです。犯行動機は身勝手な愛情のもつれによる歪んだ執着で、浅山は恋人に逃げられた腹いせに「邪魔者」とみなした相手の親を狙いました。逮捕後、浅山は裁判員裁判で死刑判決を受け、最終的に2016年までに死刑が確定しています。共犯として犯行に加担させられた浅山の妻にも懲役18年の有罪判決が下されました。
執拗なストーカー行為と最初の犯行(山形事件)
浅山克己が最初に標的としたのは、名古屋で知り合って交際していた男性A(仮名)でした。2008年頃、浅山(当時44歳)は名古屋市内のスーパー銭湯でAと出会い、その日のうちに肉体関係を持って意気投合、すぐに半同棲生活を始めています。しかし交際開始から約4か月後のクリスマスに浅山は突然Aに暴力を振るい始めました。クリスマスに何のイベントも無いことに腹を立て、テレビのリモコンやライターでAの頭を殴りつけたのです。「こんな何もないクリスマスは初めてだ」と不機嫌に怒り出した浅山に、Aは恐怖を覚えました。
それ以降、浅山の言動はエスカレートしていきます。年が明けても関係は悪化し、Aが別れ話を切り出すと、浅山は「周りの人間やお前の親にゲイだとバラすぞ」と脅し、職場にまで押しかけて別れられないように執拗につきまといました。浅山は自己中心的かつ独占欲が強く、「自分は完璧な人間、神に近い存在だ」が口癖で、一方的にAを「クズ」「クソオカマ(酷い侮蔑語)」呼ばわりするなど、精神的にも追い詰めていったのです。Aは約1年半もの間、この苛烈なストーカー行為に耐え続けることになりました。
浅山がAに対して行った主なストーカー・嫌がらせ行為
- 暴力・脅迫:交際相手に日常的に暴力を振るい、「別れたら親や周囲に暴露する」と脅迫した。
- つきまとい:職場の前で待ち伏せし、帰宅時に強引に車に乗せるなど、逃げても何度も追いかけてきた。
- 長時間の罵倒:夜通し「お前とは別れたくない」「帰ったらまた浮気するだろ」と責め立て、明け方まで人格否定の言葉を浴びせ続けた。
- 監禁・支配:相手の意思を無視して半ば軟禁状態に置き、移動を共に強要するなど交友関係や行動を完全に支配下に置こうとした。
- 過剰な連絡:逃げられてからも大量のメールや電話を送りつけ、居場所を突き止めようとした。
- 秘密の暴露を示唆:Aがゲイであることを周囲に言いふらすと繰り返し脅し、Aの家族や職場にまで干渉して精神的に追い詰めた。
2010年5月、耐えきれなくなったAは仕事を辞めて地元の山形市の実家へ逃げ帰りました。しかし浅山はそれでも諦めず、Aに執着し続けます。Aが山形に戻った後も毎日のように電話やメールで付きまとい、ついには同年9月、自ら山形の実家まで押しかけてAを強引に名古屋へ連れ戻すという暴挙にも出ました。Aは一旦は浅山に連れ戻されたものの、「母親の介護が必要だ」と再び実家へ戻り、なんとか浅山との縁を切ろうと試みます。その間も浅山からは頻繁に電話やメールが送り付けられていました。
2010年10月2日未明、山形県山形市にあるAの実家で火災が発生しました。焼け落ちた家の焼け跡からは、Aの父親(当時71歳)と母親(当時69歳)の2遺体が発見されます。就寝中だった老夫婦に逃れる間もなく火が回り、家屋は全焼しました。この火事について、当初山形県警は出火原因を特定できず失火(事故)による可能性が高いと判断しました。実はこの火災こそ浅山克己が起こした放火殺人だったのですが、警察は証拠を掴めず、当時は事件と断定されなかったのです。浅山自身も数日前にストーカー規制法に基づく警告を県警から受けていましたが、火災直後も懲りずに山形市内を訪れてAの実家の窓ガラスを割るなど嫌がらせを続けていました。
後の捜査・公判で明らかになったところによれば、浅山はこのとき「Aの両親さえいなくなればAが自分のもとに戻ってくる」と身勝手に考え、あえて一家が就寝中と思われる深夜を狙ってA実家に放火したとされています。家屋の壁や周囲にも灯油が撒かれており、老いた夫婦が火災から避難するのが困難であることを認識した上で火を放ったことから、明確に殺意があったと裁判所でも認定されました。浅山は後に山形の事件について「殺すつもりはなかった」などと弁解しましたが、実際には計画的な放火による殺人だったのです。
再び起こされた放火殺人(東京事件)
山形でAの両親を奪われた事件から約1年後、浅山克己は懲りるどころか新たな恋人に執着して第二の犯行に及びます。それが2011年11月に東京で起きたBの母親殺害・放火事件です。浅山は山形事件後に別の男性B(仮名・当時40代)と知り合って交際を始めました。Bは2010年頃、浅山と名古屋市内で関係を持ち、しばらくの間は浅山とその妻(後述)と同居もしていました。しかし浅山夫妻から日常的に暴力を受け、耐えかねたBは何度も逃亡を図ります。同居中の2010年9月以降、Bは浅山から逃げ出しては連れ戻されることを繰り返し、ついに2011年11月には浅山の元から完全に逃げ出しました。
Bは浅山から逃れると、東京都内のカプセルホテルなどを転々として身を隠します。一方、浅山と妻の小夕里(こゆり)はBを執拗に追いかけ、行方を探しました。浅山らはBの実家の住所を調べ上げ、東京都江東区にあるBの母親・大塚達子さん(当時76歳)のマンションを何度も訪れては、「Bに会わせろ」と母親に詰め寄ったといいます。Bの母親にとって浅山は突然現れた息子の交際相手であり、さぞ恐怖だったことでしょう。
そして2011年11月24日夜、浅山克己は妻の小夕里と共謀し、江東区内のB母親宅で凄惨な犯行に及びました。浅山はマンション9階にある母親宅のベランダから侵入し、帰宅してきたBの母親を奇襲します。老いた母親に襲いかかって体を縛り上げ、身動きが取れないようにしたのです。さらに浅山は大きな箱型の容器を用意し、その中で木炭を焚いて被害者を閉じ込めました。密閉空間に充満した一酸化炭素で母親を中毒死させたのです。抵抗できない老母に対し、このような手の込んだ方法で殺害するという極めて残虐な犯行でした。浅山は被害者の必死の命乞いすら無視して殺害を完遂し、最後には室内に灯油を撒いて火を付け、証拠隠滅を図るかのように部屋を全焼させました。山形に続いて東京でも放火による殺人が行われ、罪の無い高齢女性の命が奪われたのです。
東京・江東区のマンション火災は当然ながら放火殺人事件として大規模な捜査が行われました。浅山と妻はBの所在を探る過程で区役所に虚偽申請してBの住民票を不正に取得したり、ストーカー規制法に違反する行為を行っていたため、2012年1月5日にまず有印私文書偽造とストーカー規制法違反容疑で逮捕されます。その取り調べの中で東京の放火殺人への関与が浮上し、同年1月18日に改めてB母親に対する殺人・現住建造物等放火容疑で夫妻は再逮捕されました。さらに浅山は取り調べの中で山形市で起きたA両親死亡の火災についても自分の犯行であると認めたため、3月7日にはA両親殺害と放火容疑でも追送致(再逮捕)されています。
逮捕後の浅山は警視庁原宿署の留置場内で自殺未遂騒ぎも起こしています。2012年3月25日夜、留置施設の個室でシーツを裂いた紐で首を吊り自殺を図り、意識不明の重体となりました。一命は取り留め意識は回復しましたが、連続殺人犯として裁きを逃れようとしたのではないかとも噂されました。
浅山克己の生い立ちと事件の背景
浅山克己は1960年代生まれ。山間の町で三きょうだいの末っ子として生まれた。家庭は貧しく、父親は酒に酔うと母親に暴力を振るうタイプで、幼い浅山と姉は毎晩のように泣き声と怒号を聞いて育った。姉の証言によれば、まだ5歳前後の浅山少年は母親を庇って父に立ち向かったという。中学生の頃には父親を羽交い締めにして「もう敵わない」と言わせたこともあった。
経済的事情から高校進学は断念。中学卒業後すぐに工場勤務をしながら家計を助けたが「美容師になって母に楽をさせる」という夢を抱き、十代後半で上京。その後は東京と名古屋を行き来しながら美容室やアパレルを転々とした。
しかし二十代前半、唯一の兄が25歳で自殺。家族の喪失は浅山に深い影を落とし、生活はさらに荒れる。借金を重ねては夜の街で散財し、クレジットカードで高級腕時計を数十本、靴は200足以上買い漁った。部屋はブランド品で埋まり、浪費癖は止まらない。
異様な自己演出も浅山を特徴づけた。肩から背にかけて和彫りの刺青を入れ、時にド派手な女装姿をブログに掲載。地元で付いた渾名は「カマヤクザ」(オカマ+ヤクザ)。街中で男性といちゃつく姿を近隣住民に何度も目撃され、奇抜さと粗暴さを併せ持つ存在だった。
2003年、名古屋市内の家電量販店でヘッドホンを万引き中に19歳女性店員に見咎められ逆上。顔面を殴打し足を蹴り倒す暴行を加え、強盗傷害で逮捕。有罪判決を受けたが、矯正プログラムを経ることなく社会へ戻っている。
便宜結婚と妻・小夕里
浅山には女性の法律上の妻・浅山小夕里がいた。二人はスノーボード仲間だったが、2002年頃、同棲していた男性恋人が失踪し飼い犬の世話に困った浅山が「犬が可哀想だろ、結婚して面倒みろ」と小夕里に迫り、彼女がためらうと「断ったら犬を殺す」と脅迫。癌闘病中の父親に花嫁姿を見せたい思いもあった小夕里は要求を受け入れた。
結婚後も浅山は男性との交際をやめず妻にも暴言・暴力を振るい、生活費を依存。小夕里の名義で部屋を借り、クレジット契約を組ませるなど金銭面でも搾取した。最終的に小夕里は江東区事件に共犯として関与し、裁判で懲役18年を言い渡されている。
裁判と判決
裁判員裁判の争点
- 被害者3名死亡という結果の重大性
- 江東区事件は入念な計画に基づく共謀犯行
- 長期かつ執拗なストーカー行為が動機と実行を支えた
- 浅山の反省の欠如と更生可能性の乏しさ
量刑理由と判決要旨
「被告人は、命乞いをする無抵抗の高齢者に対し極めて残虐な方法で殺害した。計画性、動機の身勝手さ、結果の重大性を総合すれば、死刑以外の刑罰は相当でない。」
── 2014年3月14日 東京地裁 判決
一審の死刑判決に対し弁護側は控訴したが、2015年の東京高裁、2016年3月1日の最高裁ともに控訴・上告を棄却。死刑が確定した。小夕里被告は「夫に逆らえなかった」と訴えたが、懲役18年が支持された。
なお、拘置中の浅山は2012年3月25日にシーツを裂いて首吊り自殺を図り意識不明となったが、一命を取り留めている。
事件の残虐性と社会的反響
浅山の犯行は「恋人を取り戻す」という歪んだ執着が親世代に向かった点で世間を震撼させた。放火という証拠隠滅を兼ねた手段、一酸化炭素による計画殺人、命乞いを無視した冷酷性――こうした要素が重なり、メディアは「連続ストーカー殺人」と連日報道。事件後、ストーカー規制法の運用強化とDV被害者支援の拡充が議論され、警察の警告・保護命令のあり方が見直された。
SNSでも「ストーカー被害はエスカレートする前に介入すべき」との声が高まり、被害者支援NPOへの相談件数が急増。事件は、性的マイノリティ当事者間のDV(いわゆるsame‑sex DV)にも社会の注目を集める契機となった。
現在(2025年時点)、浅山克己は東京拘置所に収監され死刑執行を待つ。再審請求の動きはなく、執行時期は未定。
参考文献・出典
- 全国紙・地方紙(2010〜2016年)火災・裁判報道
- 週刊新潮・週刊文春ほか週刊誌特集
- 東京地裁・東京高裁・最高裁判決文
- 山形県警・警視庁公式会見資料
本稿は公判資料・報道各紙を基に未解決ジャーナル編集部が作成しました。 © 2025 未解決ジャーナル | https://mikaijournal.com/
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