全国初の“殺人ひき逃げ”重要手配 八田與一は今どこに?

未解決事件

事件の概要

2022年6月29日夜、大分県別府市野口原の県道交差点で、赤信号で停車中のバイク2台に軽乗用車が追突し、男子大学生2人が死傷する事故が発生しました。追突した軽乗用車を運転していたのは日出町在住の会社員・八田與一容疑者(当時27歳)で、衝突の衝撃により大学生のうち1人(19歳)が死亡、もう1人(20歳)が負傷しました。事故当時、軽乗用車は制限速度を大幅に超える時速80キロ以上でノーブレーキのままバイクに突っ込んだとされ、被害生存者の男子大学生は「(八田は)殺しに来てると感じた」と振り返っています。

追突後、軽乗用車は交差点の電柱に激突して前部が大破しました。八田容疑者は事故現場に車両を残したまま、被害者を救護せず110番通報もせずに裸足で逃走しました。車内からは八田容疑者名義の財布や携帯電話が見つかっており、靴(サンダル)やリュックサックも車中に残されていました。現場近くの防犯カメラには、事件直後に八田容疑者とみられる男が海方向へ全力で走り去る姿が複数映っており、その足取りが確認されています。逃走経路は住宅街の青山町から上田の湯町方面へ向かい、夜でも人通りのあるJR別府駅付近を通過して北浜の飲食店街に入り、国道10号線を横切って海沿いへ走り続けたことがわかっています。事件2日後には、その先のヨットハーバー近くの海沿いのフェンス下で八田容疑者が当夜着用していた黒いTシャツが発見され、付着したDNA型が容疑者本人のものと一致しました。警察は付近の海中も捜索しましたが、新たな手掛かりは見つかっていません。

事故当日の経緯には不穏な前兆がありました。死亡した大学生と生存した友人は夕方に湯布院へのツーリングから帰り、別府市内のショッピングモールで買い物をしていました。二人が別々の駐車場出口からバイクで出ようとした際、死亡した学生の前に突然八田容疑者が現れ、大音量の音楽を流しながら「誰が見てんだ」と言わんばかりに因縁をつけてきたのです。学生はすぐに謝罪しましたが、八田容疑者は「ここ、原付(バイク)通ったら悪いんじゃね?」といった難癖をつけ続けたといいます。この口論自体は15〜30秒ほどで収まり、二人は合流してその場を後にしました。しかし直後の午後7時45分頃、二人が別府公園前の交差点で信号待ちをしていたところに背後から先述の追突事故が起きました。友人は「どうせ変なやつだから気にするな」と声を掛けた矢先の出来事で、「アクセルべた踏みのエンジン音が聞こえ、ミラーで後ろを見るとヘッドライトがすぐ近くに迫ってきて『ヤバい!』と思った瞬間はね飛ばされた」と証言しています(OBSインタビューより)。このように、事故は偶発的な交通事故というより直前のトラブルに起因した故意の衝突とも受け取れる状況でした。

容疑者・八田與一の人物像

経歴と生い立ち: 八田與一容疑者(はった よいち、現在28歳)は石川県出身で、小学校以降は千葉県や栃木県など各地を転々としながら育ったと報じられています。高校2年生だった2013年、千葉県の習志野市立習志野高校に在籍中に重大な事件を起こしました。当時16歳だった八田容疑者は授業中に同級生から消しゴムを投げつけられたことに激昂し、休み時間に隠し持っていたナイフでその同級生の左胸を刺して重傷を負わせ、校舎から自転車で逃走しました。逃走の途中でタクシーを脅して奪いさらに逃げ続けましたが、約6時間後に身柄を確保されています。この殺人未遂事件で逮捕された少年が八田容疑者であると見られており、栃木県の喜連川少年院に送致され長期収容処分を受けたとされています。少年院では模範的な態度を装い、およそ1年程度で出院した可能性があるとも報じられています。

高校卒業後、八田容疑者は栃木県日光市から大分県へ転居する間に何らかの事件を起こし有罪判決を受けたとも言われており、2022年の別府ひき逃げ事件当時は以前の罪で執行猶予期間中だった可能性が指摘されています。そのため「また事件を起こせば執行猶予が取り消され服役しなければならない状況だったため、必死に逃げたのではないか」と推測する声もあります。実際、事故現場からの逃走劇でも自らのスマホや財布すら置き去りにしていることから、デジタル痕跡や身元を特定される手掛かりを極力断とうとした可能性が窺えます。

性格や人となり: 八田容疑者を知る人物の証言から、その二面性が浮かび上がります。学生時代の友人は「彼は基本的に明るく人懐っこい性格で、誰とでもにぎやかに振る舞う。一方でキレたら何をするか分からない怖さがあった」と証言しています。実際、趣味の自転車では千葉から熱海まで100km以上を走破する行動力があった半面、些細なことで怒り出し相手に詰め寄ったり声を荒げる姿も見せていたそうです。高校時代の刺傷事件に象徴されるように、感情が爆発すると非常に攻撃的・衝動的になる性質があるといえます。元少年院仲間の証言によれば、八田容疑者は「どこか犯罪を犯しそうな危うい性格」であり、「統合失調症の気があるヤバい奴だった」という声もあります(※ただし後者は断片的な証言であり真偽は不明)。一方で本人はかつて「生活保護になればいい」「万引きや置き引きをすればタダで物が手に入る」などと語っていた動画も存在するとされ、道義や法を顧みずとも自分の生存や欲求を満たそうとする傾向がうかがえます。このような言動から、犯罪ジャーナリストの佐々木成三氏は「八田は生きていくためなら犯罪も厭わない考えを持っている。だから絶対に生き延びている」と指摘しています。

事件前後の暮らし: 別府の事件当時、八田容疑者は大分県日出町に居住し地元で職に就いていました。大分県杵築市に住んでいたこともあり、事件2年前(2020年頃)に県内に移り住んできたと見られています。地元で目立ったトラブルは報じられていませんでしたが、先述のように買い物先の駐車場で初対面の学生に突然因縁をつけるなど、日常的に粗暴な一面をのぞかせていた可能性があります。また、家族構成について具体的な情報は多くありませんが、2024年には祖父が取材に応じ「本人から“一方的にぶつけてきた”(自分は悪くない)と聞いている」「被害者遺族と話し合うつもりはない」など心境を語ったと報じられています(ABEMA的ニュースショー)。家族は事件について謝罪や公の場でのコメントをほとんど出していませんが、報道によれば警察から事情聴取は受けており、現在は静かに暮らしているとされています。元警察官の分析では「逃亡犯は潜伏中に家族へ連絡する可能性が高い」とされ、警察も家族の動向を注視しているようです。もっとも、加害者家族も事件の共犯ではないものの道義的責任は感じているはずであり、その心情は複雑だろうと指摘されています。

現在までの捜査状況

事件直後から大分県警は八田容疑者の行方を追いましたが、夜陰に乗じて逃走した容疑者を発見できず、翌日以降も潜伏先は掴めないままでした。事故車両や現場に残された遺留品(携帯電話や衣類など)の分析、防犯カメラ映像の追跡捜査が行われましたが、手掛かりは限定的でした。捜査開始から約1年後の2023年6月、警察は八田容疑者の逃走経路映像や乗り捨て車両・遺留品(脱ぎ捨てられたTシャツや車内のスリッパ等)を初めて一般公開しました。しかし遺族からは「なぜ今になってこんな大事な映像や物証を公開するのか。もっと早く公開していれば…」と警察の対応の遅さに疑問と怒りの声も上がりました。この公開により事件の残酷さが改めて世間に知られるところとなり、「容疑者は既に自殺しているのでは」という噂に対し被害者遺族は「そんなはずはありません。自分の罪を認めて命を断つような卑怯者ではない」とコメントしています。

逃亡から約15か月後の2023年9月8日、警察庁は八田容疑者を重要指名手配犯に指定しました。道路交通法違反(ひき逃げ)容疑で重要手配に指定されるのは全国初のケースであり、特別懸賞金の対象事件にも指定されています。同月、被害者遺族は八田容疑者に対し殺人容疑での刑事告訴状を提出し、捜査当局も容疑の立件に向けて動き始めました。その結果、2025年6月にはひき逃げ(道路交通法違反)容疑に加えて殺人および殺人未遂容疑での逮捕状が新たに発付され、事件は正式に「殺人事件」として再捜査される段階に至っています。警察庁の指定手配犯リストでも八田容疑者は上位に位置付けられ、全国的な捜査協力体制が敷かれました。

現在までに寄せられた目撃情報や提供情報は1万件を超えています。2024年10月末時点で情報提供件数は約7900件にのぼり、そのうち「八田に似た男を見た」という目撃情報が約7396件を占めました。地域別では関東地方からの通報が最も多く2884件、次いで九州982件、大分県内498件、近畿950件、その他地域1429件となっており、首都圏での目撃報告が突出しています。実際、「関東で不審な坊主頭の男を見た」「札幌のネットカフェで似た男がいた」など具体的な情報が複数報じられ、警察も確認を進めました。また2024年10月下旬には、名古屋市内の飲食店に設置された防犯カメラ映像に八田容疑者によく似た男が映り込み、カメラに気づくと踵を返して立ち去る姿がSNS上で拡散される出来事もありました。大分県警はこの情報を把握しつつも「現在捜査中かどうか含めコメントできない」としています。結果的にこの映像の人物が八田容疑者本人と断定はされていませんが、ネット上では大きな話題となり、人々の関心の高さを示す一例となりました。

警察は八田容疑者がかつて居住し土地勘のある千葉県・栃木県・石川県などにも捜査員を派遣し、広域の協力を要請しています。2025年に入ると、事件発生から丸3年を迎える節目に合わせて全国7都道府県の主要都市で大規模なビラ配りが実施されました。大分県警の捜査員たちは6月29日前後に札幌市(北海道)、名古屋市(愛知県)、大阪市(大阪府)、東京都内など人通りの多い場所に立ち、八田容疑者の顔写真や特徴が記載されたチラシを配布して情報提供を呼びかけました。「八田容疑者は日本のどこかにいる。北海道も例外ではない。何とか見つけて検挙したい」という大分県警幹部の訴えのとおり、容疑者発見のために全国規模で異例の捜査体制が敷かれています。

しかし、2025年6月現在も八田容疑者は逮捕に至っていません。警察は公開手配の公式Twitterアカウントで逃走時の映像や容疑者の身体的特徴なども公開し、引き続き市民に協力を求めています。懸賞金は上限300万円と設定され、些細な情報でも提供してほしいと繰り返し呼びかけられています。目撃情報は引き続き増え続けており、特に2023年秋以降は「関東で似た人物を見た」という通報が急増したため警視庁や周辺県警も警戒を強めています。依然として有力な手掛かりを掴めない状況が続いており、捜査当局は「時間の経過に焦りはあるが、必ず検挙するとの決意で捜査を続ける」とコメントしています(報道各社の警察幹部談話より)。

行方不明後の推定行動(推理)

これだけ大規模な捜査網をくぐり抜け、八田容疑者はいまどこで何をしているのか――。公開情報や関係者の証言から、彼の現在の行動や所在についていくつか推理してみます(※以下は事実ではなく公開情報に基づく推測です)。

1.国内潜伏の可能性が極めて高い: 現状、八田容疑者が国外に出国した形跡は報じられていません。事件直後に所持品を放棄していることから旅券(パスポート)も手元になかった可能性が高く、正規の出入国は難しいでしょう。また、不法に国外逃亡するには協力者や組織的支援が必要ですが、今のところ国外での目撃情報やインターポール経由の手配情報も出ていません。そのため日本国内に留まり潜伏を続けている線が有力です。「日本のどこかにいる」という警察の表現も、国内潜伏を前提にしています。

2.都市部に紛れている説: 前述のとおり八田容疑者への目撃通報は首都圏に集中しています。彼が過去に暮らした千葉県は東京近郊であり地理感覚もあるため、東京やその周辺の大都市に紛れ込んでいる可能性があります。都心部であれば人目を引かず現金日雇いの仕事やネットカフェ暮らしなどでしのぐこともできるでしょう。実際、2024年10月には名古屋市内の飲食店で不審な挙動を見せた男性が「八田容疑者では?」と話題になりましたし、札幌の繁華街や大阪の繁華街など全国各地で「似た人物」の噂が後を絶ちません。都市部には防犯カメラも多い反面、人混みに紛れれば特定は困難です。彼は逃走初期から防犯カメラの存在に敏感であった様子もうかがえ、都会で変装しつつ転々と移動している可能性があります。

3.山中や地方での自給自足説: 一方で、山や野外に潜伏している可能性も指摘されています。学生時代の知人は「体力があるのでどこでも生きていける。山にこもっているか、歩いて他県に行って別の土地で暮らしているかもしれない」と語っています。八田容疑者自身も生活のためなら犯罪も辞さない考えを示していた節があり、都会の監視下を避けて田舎や山間部でサバイバル生活をしながら、ときに食料などを盗んで命を繋いでいる可能性もあります。ネット上では「野生化して山にいるのでは」「無人島に渡ったのでは」といった極端な憶測もありますが、実際彼は自転車で長距離を踏破したりアウトドア志向の一面もあったため、都市とは逆に人口の少ない山間で潜伏しているシナリオも完全には否定できません。

4.変装と身分隠し: 八田容疑者は指名手配写真では特徴的な長めの髪型と細身の体格ですが、逃亡後に外見を変えているのは確実でしょう。警察も髪を短く刈った姿や眼鏡着用姿、さらにはふけ顔に見せるメイクを施した場合など複数パターンの似顔絵を公開しています(報道資料より)。事件直後に黒いTシャツを脱ぎ捨てたのも目撃されにくくする目的と推測され、以降も衣服や髪型で変装を続けているはずです。整形手術など大掛かりな変装は痕跡が残るため考えにくいですが、ウィッグや帽子、マスクの常用などで容姿をごまかしているでしょう。2023年秋にネット上で拡散した名古屋の防犯映像でも、坊主頭で痩せた風貌だったため一見しては本人と断定しづらい姿でした。逃亡犯は逮捕を避けるため日に焼けた肌や髭の有無など外見を意図的に変えることが知られており、八田容疑者も同様の手段を取っていると考えられます。

5.協力者の有無: 気になるのは逃走を手助けする協力者の存在ですが、今のところ明確な共犯的存在は浮上していません。家族や交友関係も捜査線上に上がりましたが、警察の事情聴取で「心当たりはない」と証言しているようです(報道による)。ただ、事件直後の足取りを見るとヨットハーバー付近まで一直線に向かった点は不自然との指摘もあります。もしかすると事前に逃亡計画を立て、あらかじめ停めていた車やオートバイ、あるいはボートで迎えがあったのではないかという推理も一部でなされています。しかし事故は偶発的に起きたもので計画犯行ではないため、その場で共犯が用意されていた可能性は低そうです。むしろ偶然逃げ込んだ先で出会った人物や、かつて少年院で知り合った仲間など緩やかな繋がりが支援者となっているケースは考えられます。例えば逃亡中に身分を偽って住み込みで働き始め、同情した雇用主がかくまっている、といった可能性もゼロではありません。警察も不特定多数からの情報提供だけでなく、容疑者と関係のあった人々への聞き込みを繰り返し行っているはずです。

以上のように、八田容疑者の潜伏先については都会に隠れている説と自然の中に隠れている説の両面が取り沙汰されています。いずれの場合も本人は生存して逃亡を続けているとの前提で捜査当局も遺族も一致した見方をしています。元捜査官の見立てでは「これだけ執念深く逃げ延びている以上、今後も自主する可能性は低く、むしろ行き詰まればさらに他の犯罪に手を染めてでも逃げようとするだろう」という厳しい分析もあります。しかし一方で、長期間にわたる逃亡生活は肉体的・精神的に大きな負担がかかるため、どこかでボロを出す可能性も高まります。警察は時間の味方も借りつつ、容疑者の性格や行動パターンを分析して包囲網を狭めているものと思われます。

社会的な反応と影響

この事件は被害者が大学生という前途ある若者だったこと、また事故後の悪質な逃亡によって長期間逮捕に至っていないことから、社会に大きな衝撃と怒りを与えました。特に大分県内では「なぜまだ捕まらないのか」「身近に犯人が潜んでいるかもしれない恐怖がある」といった不安の声が聞かれます。事件現場が大学や観光地にも近い場所だったこともあり、地元住民の間ではしばらく夜間に出歩くことへの警戒感が広がりました。

被害者遺族の姿勢は一貫して毅然としています。亡くなった男子大学生の母親は、事件から3年を迎えるにあたり「八田を捜す日々から解放されたい。どうか一日も早く逮捕してください」と悲痛な胸の内を明かしています。遺族は警察の捜査に協力しつつ、自らも折に触れてメディアに出演し、八田容疑者へ「逃げ続けることに意味はない、罪を認めて出頭してほしい」と直接呼びかけてきました。また、遺族は2023年に八田容疑者を殺人罪で刑事告訴するという踏み切った行動に出ており、事故ではなく故意の殺人事件として扱うべきだとの強い思いを示しました。この告訴や遺族の働きかけが奏功し、警察・検察当局も結果的に殺人容疑での逮捕状を発布するに至っています。遺族側代理人は「たとえ時間がかかっても必ず法の裁きを受けさせる」とコメントしており、世論も遺族の訴えに深く同情と支持を寄せています。

事件被害者の友人や大学関係者もまた、声を上げ続けています。奇跡的に軽傷で生還した男子学生(被害者の友人)は、メディアの取材に「僕が一番忘れちゃいけない。唯一証言できるから」と述べ、自身の辛い記憶をあえて語り継ぐことで事件解決に繋げたいとの決意を示しました。彼は2025年6月の情報提供ビラ配りにも警察とともに参加し、「自分の手で配ることで、より説得力をもって多くの人に事件を知ってもらえると思った」と語っています(OBSニュース)。こうした被害者側の行動は地域社会にも大きな影響を与え、ボランティアでビラ配りを手伝う市民や、SNSで「#八田與一を許すな」「#別府ひき逃げ事件を忘れない」と発信する人々も増えました。

行政・警察側の対応にもこの事件は一石を投じました。ひき逃げ犯に対し異例の全国指名手配・懸賞金制度適用という対応が取られたことは、交通死亡事故への社会の厳しい目を反映しています。従来、交通事故は加害者が逮捕前に逃亡するケース自体が少なく、指名手配に至る事例は多くありませんでした。しかし本事件では逃亡の悪質性や遺族感情を鑑み、殺人容疑適用という踏み込んだ措置が取られました。このことは「ひき逃げは明確な殺人行為である」という社会的認識を広め、悪質運転者への厳罰化を求める世論を後押ししたとも言えます。実際、2022年以降、他の県でも死亡ひき逃げ事案で容疑者が逃走した場合に重要手配や懸賞金検討を行う動きが出ています(報道資料より)。

一方で、長期逃亡を許している警察の捜査態勢には批判もあります。ネット上では「防犯カメラがこんなにある時代になぜ捕まらないのか」「初動捜査に問題があったのでは」といった指摘が散見されました。特に事件直後に現場付近で見失ったこと、重要情報の公開が遅れたことについて、大分県警は遺族に謝罪する場面もあったようです。とはいえ、3年にわたり執念深く逃げ続ける犯人を相手にした捜査の難しさも事実であり、警察OBは「全国民が容疑者の顔と名前を知る状況での逃亡は前例が少なく、極めて異例のケース」と述べています(メディア解説より)。この事件は日本の捜査力への一種の挑戦ともなっており、SNSや防犯カメラ網を駆使した新時代の手配捜査の在り方が問われています。

おわりに

別府市の大学生死亡ひき逃げ事件から丸3年が経過し、未だ容疑者は逃亡中という異常事態が続いています。被害者を無念にも失ったご家族や友人にとって、時の経過は悲しみと怒りを和らげるどころか「犯人が野放しになっている」という苦しみを日々積み重ねるものとなっています。「身近に潜んでいるかも?」と思うと市民も不安を感じざるを得ず、事件の風化を防ぎ一刻も早く犯人を検挙することが社会の安全・正義のためにも強く望まれます。警察は今も全国で情報提供を呼びかけ、捜査の手を緩めていません。八田與一容疑者には、自らの犯した罪の重大さと向き合い、一日も早く出頭して償いの道を歩むよう切に願います。それが亡くなった被害者への供養であり、残された遺族・友人が前に進むための第一歩となるはずです。そして社会全体としても、この事件を教訓に悪質なひき逃げの根絶と逃亡犯捜索の体制強化に取り組んでいく必要があるでしょう。

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