1. はじめに:事件の概要と林真須美死刑囚の裁判経緯
1998年7月25日、和歌山市園部地区で開催された夏祭りの会場で提供されたカレーに毒物が混入されるという衝撃的な事件が発生しました。この事件により、子どもを含む4人が死亡し、63人がヒ素中毒の被害を受け、社会に大きな衝撃を与えました。この出来事は「和歌山毒物カレー事件」として広く知られることとなります。事件発生当初、医療機関と警察は、被害者に共通して見られた激しい下痢症状から集団食中毒を疑っていましたが、その後の捜査で毒物混入事件であることが判明し、大規模な捜査が開始されました。
捜査の過程で、元生命保険会社外務員の林真須美(当時37歳)が、多額の保険金詐欺疑惑と共に容疑者として浮上しました。1998年10月4日、林真須美は殺人未遂と詐欺の容疑で逮捕され、夫の林健治も詐欺容疑で逮捕されました。同年12月9日には、林真須美がカレー鍋に亜ヒ酸を投入したとして、殺人と殺人未遂の容疑で再逮捕され、12月29日に和歌山地裁に起訴されました。
裁判は長期にわたりました。1999年5月13日に和歌山地裁で初公判が開かれましたが、検察側は冒頭陳述で犯行動機を明確にすることができませんでした。林真須美は終始黙秘を続け、弁護側は一貫して無罪を主張しました。2001年12月11日、和歌山地裁は起訴された8事件のうち、カレー事件を含む7事件について林真須美を有罪と認定し、求刑通り死刑判決を言い渡しました。
弁護側は即日控訴し、裁判は大阪高等裁判所に移りました。2003年10月31日には新たな弁護団が控訴趣意書を提出し、2005年6月28日、控訴棄却の判決が言い渡されました。弁護人はさらに最高裁判所に上告し、2006年10月31日に上告趣意書を提出しました。しかし、2009年4月21日、最高裁は上告を棄却する判決を言い渡し、林真須美の死刑が確定しました。
林真須美死刑囚は逮捕以来、一貫して犯行を全面否認し、獄中からも自身の無実を訴え続けています。死刑確定後、2009年7月に和歌山地裁に第一次再審請求を申し立てましたが、これは2017年3月に棄却されました。現在も大阪高裁で即時抗告審が継続しています。さらに、2回目の再審請求も行われましたが、大阪高裁は弁護側が主張した新しい証拠を「新規明白な証拠に当たらない」と判断し、棄却しています。
本件の有罪判決は、直接的な物証や自白がない中で、主に状況証拠の積み重ねによって導かれたという点で、日本の刑事司法において異例の様相を呈しています。検察側は犯行動機を明確にできないまま、林真須美の自宅から発見されたヒ素、頭髪からのヒ素検出、不審な挙動の目撃証言、そして過去の保険金詐欺事件といった間接的な証拠を連鎖させ、犯人性を推認する立証構造を構築しました。この立証構造は、個々の状況証拠の信頼性が極めて重要であることを意味します。もしこれらの状況証拠の一つでも科学的あるいは論理的に破綻すれば、有罪認定の根拠全体が揺らぐことになります。しかし、日本の司法は一度確定した判決を覆すことに極めて慎重であり、再審のハードルが高いという特徴があります。これは、司法の安定性と真実追求のバランスにおいて、安定性が優位に立っている可能性を示唆しています。この事例は、直接証拠がない状況で状況証拠のみで死刑判決が確定する日本の刑事司法制度の特性と、その制度が冤罪を生むリスクを内包している可能性を浮き彫りにしています。特に、科学鑑定の信頼性や証言の変遷といった、後に疑義が生じる可能性のある証拠に大きく依存する構造は、再審の「壁」と相まって、一度誤った判決が出れば是正が極めて困難になるという、司法の硬直性を示していると言えるでしょう。
2. 有罪認定の根拠と弁護側の主要な反論
林真須美死刑囚の有罪認定は、直接的な物的証拠や自白がない中で、複数の状況証拠を積み重ねるという手法でなされました。検察側は、林真須美がカレー鍋に亜ヒ酸を混入させた犯人であるとの根拠として、過去に夫の林健治氏らをヒ素を用いて殺害し、保険金を得ようと試みた殺人未遂の前歴があることを重要な状況証拠として提示しました。検察は、これらの類似事件が被告人の「犯人性」を強く推認させ、その規範意識の鈍磨や罪障感の薄れを示唆すると主張しました。しかし、これらの状況証拠に対しては、弁護側から多岐にわたる反論がなされています。
ヒ素鑑定の信頼性への疑問
有罪の「決め手」とされたのは、林真須美死刑囚の自宅にあったプラスチック容器から見つかったヒ素と、犯行に使用された紙コップに付着したヒ素が「同一」であるという鑑定結果でした。捜査段階で鑑定を行ったのは東京理科大学の中井泉教授らで、ヒ素に含まれる不純物(スズなど4種類の重金属)を調べることで同一性を導いたとされています。
しかし、京都大学大学院の河合潤教授は、この鑑定に重大な異議を唱え、林死刑囚の自宅のヒ素と紙コップのヒ素は「異なるものだ」という結論を導き出しています。河合教授は、科警研鑑定が様々な「トリック」を用いており、林真須美関連のヒ素とカレー鍋から検出されたヒ素が「同一ではなかった」ことを科警研が知っていたにもかかわらず、それを隠蔽したと指摘しています。さらに、中井鑑定についても、鑑定可能な精度がなく、科警研鑑定を「カンニング」して鑑定書を作成したとまで述べています。
林真須美死刑囚の頭髪から高濃度のヒ素が検出されたことも、有罪の重要な根拠とされました。しかし、河合教授は、この頭髪鑑定にも重大な問題があったと指摘しています。例えば、頭髪中のヒ素分析方法において、5価のヒ素が3価に還元されるにもかかわらず、3価ヒ素が検出されたことが頭髪に付着していた直接的な証拠にはならないと反論しています。また、鑑定書には、頭髪を水酸化ナトリウムで煮て溶かすと記載されていますが、この処理を行うと3価ヒ素は5価に変化するため、仮に3価ヒ素が付着していたとしても実質的な分析ができていなかった可能性や、鑑定書のヒ素濃度が検出下限に達しておらず、感度不足で何も検出されていなかったはずだと述べています。加えて、中井鑑定では、X線分析の際に、X線スペクトルにおいてヒ素と鉛が10.5keVという同じ成分を最強とするため、鉛をヒ素と誤認した可能性を指摘しています。
弁護側は、X線蛍光分析のようにサンプルを破壊しない分析方法の長所を活かし、再検査すべきだと主張しましたが、捜査・訴追機関や裁判所は再試の結果が鑑定結果と矛盾することを恐れたのではないかと指摘されています。
表1:主要なヒ素鑑定とその問題点比較表
鑑定名/指摘者 | 鑑定対象 | 鑑定方法 | 鑑定結果 | 弁護側/河合教授による問題点 | 関連情報源 |
科警研鑑定 | カレー鍋のヒ素、林宅のヒ素 | 不明 (X線蛍光分析含む) | 同一と判断 | 実際は同一ではなかったことを隠蔽した可能性 | |
中井鑑定 | 林宅のヒ素、紙コップのヒ素 | X線蛍光分析 (SPring-8使用) | 同一と判断 | 科警研鑑定を「カンニング」した可能性、鑑定精度不足 | |
山内鑑定 | 林真須美の頭髪 | 超低温捕集-還元気化-原子吸光法 | 高濃度ヒ素検出 | 3価ヒ素が5価に還元される分析方法であるため、付着証拠にならない | |
河合潤教授の指摘 | 林真須美の頭髪 | X線分析の再検証 | 検出下限未満、鉛の誤認 | 水酸化ナトリウム処理で3価ヒ素が5価になる、検出感度不足、鉛をヒ素と誤認した可能性 |
有罪の「決め手」とされたヒ素鑑定に対し、複数の専門家(特に河合潤教授)が科学的根拠に基づいた重大な疑問を呈している事実は、鑑定方法の不適切さ、検出限界の問題、さらには意図的な誤認といった、鑑定の根本的な信頼性に関わるものです。裁判所はこれらの弁護側の主張や再鑑定の要求を退けており、特に再鑑定の拒否は、サンプルが非破壊的分析に適しているにもかかわらず行われなかった点で、司法が科学的真実の追求よりも判決の維持を優先した可能性を示唆しています。これは、日本の司法制度において、複雑な科学的証拠を適切に評価し、その信頼性を検証するための専門性やメカニズムが不足している可能性を浮き彫りにします。裁判官が科学的知見を十分に理解せず、あるいは既存の鑑定結果を盲信することで、誤った科学的根拠が有罪認定の決め手となり得るという、司法における専門性ギャップの問題が示唆されます。本件は、科学鑑定が刑事裁判で決定的な役割を果たす現代において、裁判所が鑑定の科学的妥当性を厳密に検証し、必要に応じて職権で再鑑定を命じるなど、より積極的な役割を果たすべきであるという、刑事司法制度全体の課題を提起しています。
林健治氏の証言の変遷と信憑性
林真須美死刑囚の夫である林健治氏は、当初、林真須美が自分を殺害しようとしたとされる「くず湯事件」について、林真須美が犯行を企てたと証言していました。しかし、最高裁判決の2日後、ビデオニュース・ドットコムのインタビューに応じ、「ヒ素は自分で呑んだ。真須美は保険金詐欺のプロだが、殺人者ではない」と語り、くず湯事件は自身が保険金を詐取するために自らヒ素を飲んだものであり、林真須美の殺人未遂容疑は冤罪だと主張しました。
健治氏は同様の主張をカレー事件裁判の控訴審で証言しましたが、裁判所はこれを「近親者の証言である上、一審では出なかった証言」として、「妻をかばう口裏合わせ」と退けました。最高裁もこの主張を退けています。弁護側は、自分を4回も殺そうとした人間を自分を貶めてまでかばう夫が存在するのかと、裁判所の判断に疑問を呈しています。
表2:林健治氏の証言変遷と裁判所の評価
時期 | 証言内容 | 裁判所の評価/判断 | 関連情報源 |
捜査段階、一審 | 林真須美による殺人未遂を示唆 | 有罪認定の根拠の一部として採用 | |
控訴審 | 「くず湯事件」は自身が保険金詐取のためヒ素を自ら摂取したものであり、林真須美の殺人未遂は冤罪であると主張 | 「妻をかばう口裏合わせ」として信用性を否定 | |
最高裁確定後 | 同上 | 最高裁も上告を棄却し、控訴審の判断を是認 |
夫である林健治氏の証言が、当初の林真須美の犯行を示唆する内容から、後に自身がヒ素を摂取したという内容へと大きく変遷したことは、事件の根幹に関わる重要な点です。裁判所は、この健治氏の変遷した証言を「妻をかばう口裏合わせ」として退けました。しかし、弁護側は、自らを貶めてまで妻をかばう動機があるのかと疑問を呈しています。裁判所が健治氏の証言を退けた背景には、彼の証言がそれまでの有罪認定の枠組みと矛盾するため、その信用性を否定せざるを得なかったという側面があるかもしれません。これは、証言の真偽を客観的に判断するのではなく、既存の有罪ストーリーに合致しない証言を排除する傾向が司法に存在し得ることを示唆しています。特に、近親者の証言は「共謀」と見なされやすいという、証言評価における潜在的なバイアスが考えられます。本件は、証言の変遷があった場合に、その真意をどこまで深く探求し、客観的に評価できるかという、証拠評価の根本的な課題を提起します。特に、共犯関係にあるとされる人物の証言の信用性を判断する際には、より慎重な検証が求められるべきであり、単に「口裏合わせ」と断じるだけでは、真実を見誤るリスクがあります。
目撃証言の曖昧さと変遷
検察側は、カレー鍋に亜ヒ酸が混入された時間帯に林真須美が一人で鍋の番をしていたことや、紙コップを手に調理場のガレージに入り、周囲を窺う素振りをしていたことなどの目撃証言を集めました。しかし、弁護側は、これらの目撃証言の信用性にも疑問を呈しています。例えば、目撃証言が変遷しており、特にTシャツの色に関する証言が曖昧であるため、人物特定の本質的な部分に疑問があるとしています 3。また、「不審な挙動」があったのは西鍋に対してであり、西鍋を開けてから敢えて東鍋に毒物を混入したというのは不自然かつ不合理であると論じています。目撃者A自身も、自分の記憶通りに話しただけであり、「林真須美が犯人であろうがなかろうが、どっちでもええよ」と述べている点も、証言の客観性に疑問を投げかけます。林真須美の次女のガレージの状況に関する証言も、矛盾や捜査段階での食い違いがあることから信用性を否定されています。
動機の不存在
検察側は、林真須美の動機を明確にすることができませんでした。しかし、検察は、林真須美が保険金取得目的で他者を殺害しようと企てた類似事件を挙げ、これらの事件が本件の犯人性を推認させる事実であると主張しました。これに対し、弁護側は、林夫妻は「金にならないことはしない」人たちであり、金目的でも怨恨でもない無差別殺人をするという推論は不合理であると主張しています。本件は「動機が明らかでない」のではなく、そもそも「動機がない」事件であるとされています。
3. 捜査・証拠収集過程における問題点
和歌山毒物カレー事件においては、捜査および証拠収集の過程そのものにも、冤罪主張の根拠となる複数の問題点が指摘されています。これらの問題は、事件の真相解明を阻害し、その後の司法判断に影響を与えた可能性が指摘されています。
事件初期の毒物特定における混乱と判断ミス
事件発生当初、和歌山県警と和歌山市保健所は、被害者の症状から集団食中毒を疑っていました。しかし、被害者の吐瀉物から青酸化合物が検出され、当初は「純粋な青酸化合物」と判断されました。ところが、青酸中毒の一般的な症状とは異なる点(下痢など)が指摘され、専門家からも疑問の声が上がっていました。その後、兵庫県尼崎市の運送会社からシアン化金カリウム紛失届が出されたことをきっかけに、警察庁科学警察研究所(科警研)が残ったカレーや鍋を分析した結果、それまで想定されていなかった砒素化合物が偶然検出されました。この毒物特定までに事件発生から10日以上が経過しており、初期の判断ミスと毒物特定の遅れは、捜査の初動対応の不備として厳しく指摘されています。
毒劇物管理の杜撰さと容易な入手可能性が捜査に与えた影響
事件後、和歌山県警の調査により、和歌山市周辺で毒劇物(青酸化合物、砒素化合物)が、使用目的の確認なしに個人に販売されていた事例や、盗難・紛失届が出された毒劇物の一部が未回収であるという杜撰な実態が明らかになりました。学校での毒劇物管理も同様に杜撰であり、帳簿の記載ミスや20年近く使用されていない毒劇物が多数存在したことが判明しています。このような毒劇物の容易な入手可能性は、事件の発生を助長しただけでなく、捜査において真犯人の特定を困難にする要因となった可能性が指摘されています。
間接証拠の積み重ねによる捜査手法への批判と冤罪リスク
和歌山県警は、林真須美による犯行を裏付ける直接証拠がない中で、多数の間接証拠(目撃証言、林宅からの亜ヒ酸検出、頭髪からのヒ素検出、類似事件)を積み重ねることにより、嫌疑を否認していた被疑者が犯人であることを立証するという捜査手法をとりました。この手法は、過去の京都・大阪連続強盗殺人事件でも取られた手法と報じられています。しかし、個々の間接証拠の信頼性が揺らぐ場合、その積み重ねによって導かれた結論全体が危うくなるという、冤罪のリスクが指摘されています。
再鑑定の拒否と司法機関の姿勢がもたらす課題
弁護側は、鑑定の信頼性に疑義を呈し、再鑑定を求めましたが、裁判所はこれを退けました。特に、X線蛍光分析のようにサンプルを破壊しない分析方法の場合、再鑑定は容易であり、真実を明らかにする上で極めて重要であるにもかかわらず、それが拒否されたことは、司法機関が「再試の結果が鑑定結果と矛盾すること」を恐れたのではないかという批判があります。
事件発生当初の毒物特定における混乱(食中毒から青酸、そして偶然のヒ素発見へと推移)は、捜査の初動対応の不備を明確に示しています。さらに、メディアが林真須美を「容疑者」と特定し、「犯人は彼女以外にいない」かのような報道が連日行われたことも、捜査機関や世論の中で、林真須美を「犯人」とする「犯人像」を早期に固定化させた可能性が考えられます。一度この「犯人像」が形成されると、その後の捜査は「犯人像」に合致する証拠を集める方向に偏り、矛盾する証拠や新たな可能性を排除する傾向が強まる(確証バイアス)ことが懸念されます。毒劇物のずさんな管理体制が明らかになったことも、捜査の混乱を助長し、真犯人の特定をさらに困難にしました。この初期の「犯人像」の固定化は、その後の裁判過程における証拠評価にも影響を与え、裁判所が不自然・不合理な事実認定を「動かぬ事実」として是認してしまう遠因となった可能性が考えられます。本件は、刑事事件における捜査の初期段階の重要性、特に毒物事件のような特殊なケースにおける専門性と関係機関の連携の必要性、そしてメディアの報道が捜査や司法判断に与えうる影響について、日本の刑事司法制度が学ぶべき教訓を示しています。
4. 再審請求の現状と新たな主張
林真須美死刑囚は、死刑確定後も一貫して無実を訴え、複数回にわたる再審請求を行っています。しかし、その過程は日本の刑事司法制度における再審の「壁」の高さを示すものとなっています。
これまでの再審請求の経緯と棄却理由
林真須美死刑囚は、2009年4月の死刑確定後、同年7月に和歌山地裁に第一次再審請求を申し立てました。この第一次再審請求は、2017年3月に棄却され、現在も大阪高裁で即時抗告審が継続しています 6。さらに、2回目の再審請求も行われましたが、大阪高裁は弁護側が主張した新しい証拠について「新規明白な証拠に当たらない」と判断し、これを棄却しました。これは、和歌山地裁の判断が正当であるとされたためです。日本の刑事司法制度における再審の「壁」は高く、「新規明白な証拠」という厳格な基準が、再審開始を極めて困難にしています。
弁護側が主張する「新規明白な証拠」の内容
弁護側は、最高裁への上告趣意書において、憲法・法令解釈の誤り、判例違反、著しく正義に反する事実誤認(殺人未遂・保険詐欺関係、保険金詐欺事件、カレーと被告人の結びつき)、ならびに真犯人存在の可能性を指摘しています。特に、鑑定内容と手続的違法性、科学的仮説を刑事裁判の証拠として用いる基本的な姿勢の誤り、再試の必要性などが強く主張されています。
近年の再審請求では、京都大学の河合潤教授による鑑定不正の指摘が主要な論点となっています。河合教授は、特にヒ素鑑定における「ヒ素」と「鉛」のデータの読み間違いや、頭髪鑑定の問題点(3価ヒ素が5価になる分析方法、検出下限未満の濃度、鉛の誤認)が詳細に指摘されています。2回目の再審請求における「新規明白な証拠」の具体的な内容は、公開情報からは詳細に記載されていませんが、シアン化合物が毒物として使用された可能性も排除できないという第三者犯行説も主張に含まれていたと報じられています。
日本の刑事司法制度における再審の「壁」と困難性
日本の刑事訴訟法における再審請求は、確定判決の事実認定に「合理的な疑いを差し挟む余地」を生じさせる「新規明白な証拠」が必要とされ、そのハードルは極めて高いとされています。本件のように、科学鑑定の信頼性や証言の変遷など、有罪の根拠となった証拠に後から疑義が生じても、その「明白性」が認められにくい現状があります。
林真須美死刑囚の再審請求は複数回行われているにもかかわらず、いずれも「新規明白な証拠に当たらない」として棄却されています。これには、河合潤教授による詳細な科学的鑑定批判や、夫である林健治氏の証言変遷など、有罪の根拠を揺るがす可能性のある新たな証拠が提示されているにもかかわらず、この状況が続いているという事実が含まれます。これは、日本の再審制度が「新規明白性」という基準を極めて厳格に解釈している結果であると考えられます。裁判所は、既存の有罪認定を覆すに足る「明白な」証拠でなければ再審を開始しないという姿勢を貫いていると見られます。この厳格な解釈は、司法の安定性を重視する一方で、真実の追求や冤罪の是正という再審制度本来の目的を阻害している可能性があります。「新規明白性」の判断基準が、裁判所の裁量に大きく依存し、科学的知見の進展や新たな証言の重要性が十分に評価されていない可能性が示唆されます。特に、原判決の根拠となった鑑定に科学的疑義が生じた場合でも、その鑑定の「不正」や「誤り」が「明白」であると認定されることは極めて困難であるという現状があります。本件は、日本の再審制度が冤罪救済の最終防波堤として十分に機能しているのかという根本的な問いを投げかけています。再審の「壁」の高さは、一度有罪判決が確定すると、それが誤りであったとしても、その是正が極めて困難であることを意味し、刑事司法制度全体の信頼性に関わる重大な課題であると言えるでしょう。
5. 結論:冤罪主張の多角的要因と日本の刑事司法への示唆
林真須美死刑囚の冤罪主張は、単一の要因に起因するものではなく、複数の問題点が複雑に絡み合って形成されています。本件は、日本の刑事司法制度が抱える根深い課題を浮き彫りにする象徴的な事件と言えます。
まず、直接証拠の欠如と状況証拠への過度な依存が挙げられます。自白や直接的な目撃証言がない中で、状況証拠のみで死刑判決が下されたこと自体の脆弱性が指摘されています。この構造は、個々の状況証拠の信頼性が揺らぐ場合に、冤罪のリスクを高める可能性があります。
次に、科学鑑定の信頼性への重大な疑義です。有罪の決め手とされたヒ素鑑定(同一性鑑定、頭髪鑑定)に対し、京都大学の河合潤教授をはじめとする複数の専門家から、科学的根拠に基づいた具体的な問題点、すなわち鑑定不正、鉛の誤認、分析方法の不適切さなどが指摘されています。これらの指摘は、鑑定の根本的な信頼性を揺るがすものであり、司法が複雑な科学的証拠を適切に評価し、その信頼性を検証するための専門性やメカニズムが不足している可能性を示唆しています。
さらに、主要証言の変遷と評価の困難性も重要な要因です。夫である林健治氏の証言が大きく変遷し、その信憑性が裁判所で「妻をかばう口裏合わせ」として退けられたことの妥当性には疑問が残ります。証言の真偽を客観的に判断するのではなく、既存の有罪ストーリーに合致しない証言を排除する傾向が司法に存在し得るという懸念が示されています。
また、動機の不存在も冤罪主張の根拠となっています。無差別殺人の動機が不明確なまま、過去の保険金詐欺という「類似事実」をもって犯人性が推認されたことは、不合理であるとの指摘があります。林真須美が保険金詐欺という利欲犯であったことから、「金にならないことはしない」という弁護側の主張は、動機の観点から説得力を持つものです。
加えて、捜査初期の混乱と外部要因の影響も無視できません。事件初期の毒物特定における混乱、杜撰な毒劇物管理体制、そしてメディアによる「犯人像」の早期固定化が、その後の捜査や裁判に与えた影響は大きいと考えられます。これらの要因が、捜査における確証バイアスを生み出し、裁判所が不自然・不合理な事実認定を「動かぬ事実」として是認してしまう遠因となった可能性が指摘されています。
最後に、**再審制度の「壁」**の高さが、これらの疑義にもかかわらず、冤罪の是正を阻んでいます。再審請求が「新規明白な証拠」の基準を満たさないとして棄却され続けている現状は、日本の再審制度が冤罪救済の最終防波堤として十分に機能しているのかという根本的な問いを投げかけています。この厳格な基準は、司法の安定性を重視する一方で、真実の追求や冤罪の是正という再審制度本来の目的を阻害している可能性があります。
本事件が提起する日本の刑事司法制度における課題は多岐にわたります。科学鑑定が決定的な証拠となる現代において、裁判官がその科学的妥当性をより厳密に検証し、必要に応じて職権で再鑑定を命じるなど、科学的専門性を高める必要があります。また、直接証拠がない事件において、個々の状況証拠の信頼性が揺らぐ場合、その積み重ねによる有罪認定が冤罪のリスクを高めることを再認識すべきです。再審制度についても、「新規明白な証拠」の解釈をより柔軟にし、真実の発見と冤罪救済という再審制度の本来の目的が十分に果たされるよう、制度の見直しが求められます。さらに、捜査機関には、捜査初期の混乱や証拠収集過程における問題点に対し、より高い透明性と説明責任が求められるでしょう。
林真須美死刑囚の再審請求は、日本の刑事司法制度の信頼性を問う試金石となっています。この事件の最終的な解決は、単に一人の死刑囚の運命に留まらず、日本の司法が真に公正であるか、そして冤罪を是正する能力を有しているかを示す重要な指標となるでしょう。司法には、過去の判断を再検証し、科学的知見や新たな証拠に真摯に向き合うことで、国民の信頼を回復し、真の正義を実現する役割が求められています。
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